年末年始というのは色々な意味で節目となる。
日本人には子供の頃は餅つきから始まり、紅白歌合戦からお節料理にお年玉・・・
確かにどれも楽しいことばかりだ。
子供の頃、お正月が近づくにつれ、ワクワクしていたことを今でも思い出す。
50歳を過ぎて感じるこの正月の時間というのは人生の節目としての習慣化ができているようで、
私にとっては今年も日本の世間の正月の様子を少しは感じることができた。
そして、正月早々にベトナムに飛び、現地の活動の中で海外からも新鮮な視点で色々と
考えることができ、とても有意義だった。
“考える”というテーマは経営者にとっても新入社員にとっても、
能動的か受け身かの違いはあるが、とても重要である。
働く限りは常についてまわるし、一般的には考えるスキルが高い人が仕事ができる人である。
人間関係も何も考えない人より考えている人の方が付き合いやすい。
考える人の方が豊かに人生を送っていると思う。
特に仕事をする上では、考えることがすべての土台になることに
異論がある人は少ないと思う。
考えない人と仕事はできればしたくない。
私は多様な方々とお話しすることが多く、もともと好奇心は人一倍強い方だ。
最近、時々振り返ると能動的に考えることに対してすごく神経が研ぎ澄まされつつあると思う。
考えることが楽しいのである。
20歳前後の学生時代、まったく何も考えずにのほほんとその日暮らしで過ごしていた頃に比べると、
今の私は考えることが習慣化されているので自分でも驚く。
どこに行っても誰と会っても何をしてても“あーでもない、こーでもない”と考えている。
そんなわけで私が最近ビジネス活動や社会生活の中で考えたことや考え中のことをいくつか
書きたいと思う。
まず、“変化の時代”について考えてみる。
今、経営を指南する書物や経営者自身の発言でもそうだが、今は変化の時代である。
という論調が大半である。
確かに、私が働き出した30年前に比べると経済の安定感はなくなってきたし、
企業の倒産話も劇的に増えている。
経営環境も複雑で先行きの予測は難しい。
だから、短期的視点では、30年前に比べたら、とても今は変化は激しいと私も実感する。
しかし、戦前戦後ぐらいの生まれで今もご健在の方から見たら、そうは思わないと思う。
どう考えても戦後の復興期に比べたら、今は変化が少ないと思うし、安定している。
不安やリスクは少ない。
さらに明治維新ぐらい昔に戻れば、あれからの約150年間の日本の変化を考えると、
その頃にはとても想像できないようなことが日本で起こり続けている。
そう考えると、世間が喧伝しているほど大きな変化は起きていないと捉えることもできる。
メディアや世間に振り回されて、変化が激しいから大変・・・と思い込むのではなく、
別の視点でよく考えてみれば捉え方が変わることも多い。
安定した時期は右肩上がりの高度経済成長期の真っ盛りのたった20~30年間しか
なかったのだと理解できれば、この変化の実態も透けて見えるだろう。
これぐらいの変化は逆にチャンスしか見えないのではないかと思う。
次はシニアのことを考えてみる。
日本は高齢化と少子化が重なり、とても暗い空気が漂っている。
人口が減ると商売のパイが減る。この視点で見れば国内マーケットが縮小するのであるから、
企業経営は大変だ。また、個人の視点で見てもシニアばかりになっていく日本国内では
不安感が先行し、蔓延している。
そして、実際に50~60歳で気持ちの定年を迎えて老け込んでしまう人も多い。
一方、政府は高齢者の定義を一気に引き上げて75歳以上にしようとしている。
このギャップ感は今のところ広がるばかりだ。
私が最近読んだ本で、とても面白かった本を紹介したい。
「LIFE SHIFT 100年時代の人生戦略」(東洋経済新報社)である。
今、日本などの先進国で生まれた人は、半分以上が100歳を超えて生きる。
日本だけでなく、この100年間で世界の平均寿命が伸び続けていると述べられている。
さらに、この伸びは衰える様子はないという。この本の内容には他にも共感する点が多かったが、
寿命が延びることを論理的に書いてあり、部分的には予想していたこととはいえ、
論理的に書かれているとにわかに元気が湧いてくる。
一昨年の拙著「もし波平が77歳だったら?」にも書いたが、
私の世代などは働き出したころの定年はひとつのゴールだと思っていたが、
今の時代はどんどん先に延びている。
マラソンでいえば、42.195Kmだったはずなのに、まだまだ道が続いている
という状況だろう。30年前に定年は60歳である。
その後は老後であると信じて働き出したわけであるが、そろそろ70歳は当たり前の時代を迎え、
さらにその先まで延び続けている。
日本人だけでなく世界中で寿命が伸び続けている時代に私達は生きている。
この現実を知ることがまずは重要だ。
知るだけでも今の生き方を変えるチャンスをもらったともいえるだろう。
そう、何回も人生はやり直せるし、キャリアチェンジもできる。
いつでも先に備えて学習を始めることもできる。
逆にそうしなければ、いままでの固定観念では100年は楽しめない。
数十年前でいえば、今の50歳や60歳は80歳、90歳を楽しく生きるための、
昔の20歳ぐらいの学びの年齢である。
事実を知り、考え方を変えるだけでも、楽しく人生を過ごすヒントをたくさんもらえる。
海外から日本のことを考えることも私は多い。
特に今年はまだ正月モードの気分だった1月3日にベトナムに飛んだ。
そして、年始を海外で過ごしたことにより、今回も新たな発見がいくつもあった。
また、少しでも多くの時間を割いて、日本をできるだけ海外から見続けていたいという思いが
ますます強くなった。
昨年はアフリカで活動を始めたことにより、東南アジアへの見方が複眼的になった。
今、私はベトナム人とアフリカ人を日本人が関わって“つなぐ”ことに関心が高まっている。
そして、その準備も進めている。
今年の5月は、ベトナム人、日本人混合のアフリカ視察を計画している。
日本国内しか知らなければ、国内の視点でのみ考え、判断してしまう。
そしてそれが固定観念になる。
今は日本から大人気の東南アジアであるが、現地から日本を見ると異なる見え方に気づく。
三丁目の夕日の時代が懐かしくなったり、商売の原点があちこちにあり、シニアは特に
現地でワクワクする。子供の頃の刺激に近く、体の芯から変化するようだ。
経験やノウハウを生かし、日本の指導などが期待されているが、
日本人が現地の生きる力に学ぶこともずっと多い。そこに今はアフリカが加わった。
そうすると、国と国の視点ではなく、地球全体を意識することが極端に増えてくる。
人類発祥の地と言われる地がアフリカ大陸である。
資源の奪い合いに翻弄されてきたアフリカはジェノサイドからの奇跡的な復興が進む
ルワンダなど、数多くの国がひしめきあう。
まだまだ未知の世界だが、ビジネスの場はすでに地球全体に広がりつつある。
これもおおいに気になることのひとつ。
一気に考えることが増えた。
嬉しい悲鳴である。
今、経営者の最大の関心ごとのひとつはAIといっても過言ではない。
また、一般人には用途はよくわからないがドローンも言葉としては知られるように
なってきた。ただ、身近の経営者と話していても思うのだが、そもそもICTのことが
わかっていたのだろうか?
ICTもよくわからない、活用できていないうちにAI時代になってしまった。
一般人ならともかく、経営者として大丈夫だろうか?
とても心配なことのひとつである。
ICTもAIもテクノロジーの進化のひとつであり、AIだから特別なこともない。
産業革命以来のこの約200年でテクノロジーの進化、
変化するスピードは確かに劇的に速くなっている。
変化のスピードを感じるのはとても難しいが、少し長いスパンでみれば容易に想像がつく。
人類が誕生以来、道具(ツール)の進化とともに人類も進化してきたことと思えば、
昔の道具がテクノロジーになり、今回のAIもそのひとつに過ぎないと思えば、
進化の過程のひとつであると理解できるだろう。
ただ、何万年の間の変化と数十年の間の変化は違う。
最近、AIが当たり前に話題に上るこういう時代の人の適応方法として、
人間らしさを考えたり、人間にしかできない仕事を考える論調が増えた。
とても好ましいことだと思う。
人間らしさを考えるのは、何も学者や専門家の世界の話ではない。
個々人がそれぞれ考えるのが大切だ。
例えば、ECが発展する中で運送業界が大変なことになっている。
特に日本は肉体労働者が劇的に減っている。
それは、人口減に加えて、ホワイトカラーを優先した仕事の選択が重なった結果だ。
誰が運ぶのかというこの問題のひとつの解決方法は買い物する人自身であると考えている。
ICTがなかった頃の買い物に戻すだけで解決することも多い。
要するにネットで注文するのはこのままでよいが、
商品は自分で取りに行けるなら取りに行く。
簡単な話である。
まさか、ロボットに運んでもらう?
お年寄りや不自由な人ならともかく、歩ける人は歩いたら良い。
わざわざ、歩くためにランニングマシンに乗る必要もなくなる。
もうひとつ、SNSでネットのつながりが急激に増えている。
大人でも困惑するのだから、子供の世界で問題が起こらないわけがない。
簡単にいえば、ネットで人とつながるのではなく、人とつながるためにネットという
ひとつの手段を使うことを教育する必要がある。
ICTであろうとAIであろうと、人間は人間と直接つながってコミュニケーションするから
人間らしいのである。
仕事の現場ではアイデアを考えなさいと言われるケースも多い。
私も部下にそういう指示はする。
ただ、私の体験上、本物のアイデアは実力がないものが考えたからといって
急に出せるものではない。
私も20代の働きだしたころ、アイデアが出なくて嘆いていたし、憂鬱に感じていた。
アイデアは出すスキルは生まれ持っての才能だと思っていたからだ。
今になって思うことは大きな勘違い。
今は脳科学も解明が進んできた。
アイデアを出すためには、普段からの蓄積が重要だ。情報、データは言うまでもなく、
たくさんの事例などが脳裏に焼きついていないといけない。
体験に加えて記憶もとても重要だ。そういう長い過程の積み上げがあって、
普段考え続けておくことで、いざという時にひらめくのである。
私は、仕事上、平均よりも考えることは多いと思う。
考えると言えば、トヨタの改善が有名で5回考えるを実践しようとするビジネスパーソンは
多いだろう。考える習慣のない人は、まずは5回考える習慣にすることは重要だ。
しかし、考えることに基準はない。
一回で済むこともあれば、ひとつのことを永久に考え続けることもある。
「人間とは?」などは、哲学的でもあり、禅問答的でもあり、考えることにおいては
永遠のテーマのひとつだろう。
なによりも重要なのは考えるだけで終わるのではなく、行動することである。
もっと言えば、行動しながら考えるのがちょうどよい。今の私は大分できてきたと思う。
先に紹介した「LIFE SHIFT」にはこれから長くなった人生を愉しむためには、
変身するスキルを身につけることはとても重要だといっている。
私なりに解釈すれば、変化に適応するスキルだと思う。
個人も組織も変化適応型に変身することが重要なのだと思う。
最近気になることをいくつか書いてみたが、考えるということは実に奥が深い。
今のオフィスで働くスタイルは今後どうなるかなども大きなテーマとなる。
このあたりは次の機会に譲る。
生まれつき好奇心旺盛の人は「なぜ、なぜ、どうして?と」四六時中考えることが多い。
もちろん、そうでない人も考える習慣を身に着けることはできる。
実際、トレーニングで出来ている人はたくさんいる。
重要なのことは主体的に考えることである。
人や周囲に流されてはいけないということである。
自立して考えることとも言い換えることができる。
そのためには、情報に敏感になること、背景の根拠やデータなども重要視する。
メディアの話をうのみにしない。事実に焦点を当てる。
そして、信頼できる人とのつながりを作る。かといって、人の話はうのみにしない。
教わるのは良いが、受け身のままでは考える力は身につかない。
色々とコツはあるだろうが、一番大切なのは考えることをめんどくさがらず、
習慣化することである。
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