特に、エネルギー問題とともに
日本の食糧問題が話題になることが増えている。
メディアの伝え方を見ても、新聞、テレビを始め、数多くのビジネス雑誌でも
日本の食糧危機や農業問題の記事が目立つようになった。
それにつられてか、経営者との会話やビジネスにおける話題も
このテーマについて議論することが増えたと実感している。私は、農家出身者ということもあり、食糧問題や農業の話題については、
人一倍関心が強い。
今のように世間で話題になる前から、農業の未来については
憂えている一人でもある。
今までは、世界全体から見れば日本は金持ちであったので、
世界から多くの食材を買うことができた。
しかし、これからは難しくなる。
例えば、アジアの新興国の代表選手である中国やインドだけに目を向けても、
20億人以上の消費者が存在し、日々、豊かになりつつあるのだ。
貧しさゆえに食に無関心だった国民が、
だんだんと先進国並みの食生活に近づいていく。
想像しただけでも日本の消費量とは桁違いに違うことがわかる。
当然、これらの国々は、農業産業の維持・発展に真剣だ。
何が一番大切かよく分かっているからだろう。
食べるものが十分確保できなくなったら、国家存亡の危機に立たされるからだ。
今や多くの人が知るところになったが、日本の主要穀物の自給自足率は、
先進国の中でも最下位である。
高度成長期の過程で農業離れがどんどん進行したのが大きな要因だといわれる。
やり方次第で自国の農業生産を拡大できる余力はある。
一方で、“60%を輸入に頼り、全体の30%を捨てている国”
と断言する人もいる。
なんと、もったいないことをしているのか?
日本人の意識改革が必要だ。
今年は中国の冷凍食品問題が話題になった。
日本人が、自国の農業問題を省みる機会として考えれば、
結果として良かったと考えている。
とはいえ、私は一連の報道を聞いて驚いた。
想像以上に日本人が、冷凍食品として外国産の食料に依存していた点だ。
昔は今ほど冷凍食品が巷にあふれていなかった。
安くて美味しくて安心できるものが食べたい。
これは平均的な日本人の考えだろう。
この事件をきっかけに、日本人の期待は見事に裏切られた。
安心できるという肝心な部分が崩れ去ったのだ。
一部、外国産は一切食べないという徹底した人もいるが、
平均的には、苦しい家計の中、食費をやりくりして相当な部分を、
お手軽という理由とあわせて、冷凍食品に頼っているのが実情だろう。
この安心という視点で農業問題を考えることも大切なことだ。
私は、一般の人より農業を体感しているので、
消費者が思うほど、日本の農業も安心できないことは知っている。
しかし、様々な専門家の意見などを総合すると、
外国より安全なのは間違いないと思う。
日本の農業は、安心して食べられるという点においては、
今後も、満足レベルは満たしていくだろう。
しかし、なぜ、消費者が外国産の冷凍食品に走ったのかを考えておくことは
重要だ。
それは、価格が安いということに尽きる。
その上、安全、安心まで保障されているというのが間違いだったのだ。
『安くて安心できるもの』
この発想を変える必要があると私は考える。
これからのことを考えると、多少は期待が持てそうな雰囲気が
できつつある。
日本の農業を再建し、自給自足率の向上についての施策については、
政治の世界でも盛んに議論があるようだ。
経済界でも、新規事業として、参入する企業も増えつつあるし、
就農者も若い人の中でも少しずつ、増加の傾向にあるようだ。
実際、私の身近でも、農業ビジネス(アグリビジネスと呼んだりすると、
何やら新鮮に感じるのが不思議ではあるが)目を向けだした人も増えた。
ただし、儲けのネタとしてしか考えられないような人には、
ご遠慮願いたいものだが・・・。
このような活動には、期待しつつも、農家出身者として、
大事なことを忘れてはならないと思う。
日本人が日本で生産されたものを安心して食していきたければ、
もっと、農産物を高く購入するべきだと思う。
当然、農業の合理化、生産性の向上など改良の余地はまだまだある。
また、農協に代表される流通のしくみにしても改善の余地は大である。
しかし、いくら改善しても、農業に従事する低人件費のおかげで、
安いものが買えるという産業構造では、それこそ、就農者にも魅力がないし、
参入する企業にしても、すぐに行き詰る。
農業技術が益々、改善され、機械化がどんどん進んでも、
農業の基本は肉体労働である。
いい加減、日本人は過剰な娯楽や贅沢に浪費する一部のお金を、
食べ物に回すことはできないのだろうか?と真剣に思う。
将来に対して、何が一番大切か考えればすぐにわかる事だと思うのだが・・・。
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