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便利さにマヒしている日本人は日本以外の国で生活できるのか?

人間の体は不思議とよくできている。
筋肉は、使わなければどんどんやせ細っていく。

野球なら野球、ゴルフならゴルフに必要な筋肉というのがあって、
一流選手になると細かい部位ごとにトレーニングする。

一方、最近話題になることも多いが、人間の脳も似たようなもので、
使わなければどんどん錆びついていく。

アイデアひとつ出すにしても、脳を鍛える必要があるし、
プラス思考ひとつでも、脳の訓練になる。仕事柄、時々東京で活動している私はふと思うことがある。

全く正反対の田舎で生まれ育った私にとって
「この東京の便利さは、本当に人間にとって良いことなのか?」と。

「本来人間が生まれながらに持っている

幾つかの重要な機能が錆ついていくのではないか?」

例えば、歩道と車道の分離などもそうだ。

一見、子供を育てるのには安全、安心な住環境だろう。

だが、世の中はそんな場所ばかりではない。

日本においても、いまだ車道と歩道の区別すらない道路も多く見受ける。

危なっかしくて、一人歩きなどさせることができない。

ならば、ずっと親が付いて回るのか!?

駅の自動改札も然り。

お年寄りにとって、本当にカード1枚の自動改札が良いことなのか?

切符を買って切符を入れるという簡単な動作も頭を使い、指を使っている。
そのことを考えると、実は些細ではあるが、大切な動作にも思えてくる。

さらに、あと数年もすれば、一家に1台の
掃除ロボットが登場するという話もよく耳にする。
楽しみでないといえばウソになるが、人間はどこまで自動化すれば気が済むのだろうか?

よく知られた話だが、便利すぎる社会の反動が運動不足である。

そして、それを解消するために、フィットネスクラブが大流行する。
これって本当に人間らしい?

日々便利に変化している社会に身をおいていると、感覚がマヒしてくる。

最後には全てが自動化されてしまい、何もしなくても日常生活が送れるのでは。
楽しみではなく、恐怖感を覚えてしまう。

先日、わが社はベトナム・ホーチミン市内でオフィスの転居を行った。
新築のビルに入居し、正式にテナント契約の上、オフィスの利用を始めた。
ところが、転居から約2ヶ月間、人力で動くエレベーターで過ごす羽目になった。
つまり、予定より工事が大幅に遅れたのだ。

工期遅れは、ベナナムのような国ではよくあることだ。

それでも、テナントに入居していて、
エレベーターが、自動で動かないことは、わが国ではまずないだろう。

転居したオフィスのフロアは10F。

私もスタッフも幾度となく階段を上ることもあった。

そして、ようやく自動でエレベーターが動いた。

そのことがどれだけ便利に感じたことか!

エレベーターが自動で動いただけ、なのに・・・。

こんな事は、めったに経験できないだろう。

なぜならば、日本のエレベーターは賢すぎる。

複数のエレベーターが最適解をはじき出して、待つものにストレスが溜まらないよう
コンピューターが制御している。

ところが、ベトナムのエレベーターの大半は、こんな機能はついていない。
日本人から見たら、機能不十分と感じることだろう。

しかし、ベトナム人から見たら、
「エレベーターってなんと便利なんだ!」という感覚だ。

現代から比べれば、不便極まりない生活環境で育った私でさえ、
今の都会生活に体が慣れてしまっているのだ。

つまり、本来人間は不便の中で何不自由もなく
生きてゆける体であるにもかかわらず、知らず知らずのうちに、退化している。

私はそう感じている。

便利さは、結局のところ相対的なものである。

昔と今を比べたり、日本と後進国を比べたり。

常に、世界中のいたるところで
ギャップが発生していることを体感しておきたいものだ。

でも、こういう人もいるだろう。

『日本人だし、日本は既に先進国だし、豊かだし、
便利な社会だから、それでよいじゃないか』

確かに、これから何十年も日本の中だけで暮らし、
日本の中だけで働くのならそれでよいだろう。

あるいは、外国に行くにしても、日本と同等の利便性を
有する街を探せば何とかならなくはない。

それは、限定されたエリアで老後を幸せに過ごす程度であれば、成立するだろう。

しかし、誰が考えても、世界中が今の東京レベルの
利便性を有する社会になることなどありえないのだ。

そんなことを目指したら、それこそ地球が崩壊する。

あらゆるものが自動化する世界の中だからこそ、
たくましく不便な中で生活する力が今の日本人には必要だと強く思う。

特に、都会の便利さの中で生活してきた若者たちが、
世界の中で活動できるのかと、少し心配になる。

今の若者は、もっと積極的に不便さを体験するべきだろう。

それが人生の大きな糧となるはずだ。

 

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