時々振り返ることが自然と多くなる。
私自身は今でも20代の社会人になりたての頃の記憶も
そんなに薄らいではいない。
この頃の私は自分で言うのもなんだが、今とは別人のようだ。
あれから20年以上の月日が過ぎた。
社会で働くことが自然に受け止められるようになったのは
いつの頃からだろうか。
少なくとも20代前半は、特に強い目的意識はなかった。
こんな辛気臭い“働くということ”を、一生続けないと
いけないかと思うと毎日が憂鬱であった。 そんな私が、今の歳になって言うのもなんだが・・・。
世の中、40代の今ごろになって、
“俺の人生、こんなはずじゃなかった”と
嘆いている人のなんと多いことか。
いまさら、後悔していてどうするのかと言いたくもなるが、
いわゆる会社員として働いている人たちの中に多い。
ところで、人生の成功とはなんだろうか?
人それぞれの考えがあるだろう。
先輩方々の含蓄のある言葉の中でも、特に一番スッキリ私の腑に落ちた言葉がある。
田坂広志氏の“成功とは成長である”だ。
私なりの解釈は、少しずつでも成長していれば、その人にとって、
それは成功なのだ。
もちろん、人と比べてではなく、自分自身の尺度で十分だろう。
そんな訳で、40代そこそこで、人生の結果を語るなんて早すぎると思う。
後悔ばかりしている場合ではない。
これから先、いくらでも再チャレンジできるのが、私たちの世代でもある。
なのに、“こんなはずじゃなかった”と、途方に暮れている人のなんと多いことか。
もっともこうなった原因は必ずしも、個人の問題だけではなく、
激変する社会に翻弄された結果とも言える。
そういう意味では、少しは同情もある。
実際、予想を覆す出来事の連続の中、社会が目まぐるしく激変しているのである。
具体的な例で考えてみよう。
例えば、安定志向で大企業に入社して、これで一生安泰。
目当ての会社に入社することで、人生の90%が決まっていたような時代は
実際に存在した。
今や死語なりつつある年功序列、終身雇用制度が当たり前の頃に、
社会に出た人が無事に定年を迎えることができた人がどれほどいるのだろうか。
その世代は一体何歳までぐらいなのだろうかとよく考える。
レイオフなどあり得なかった日本の経営が劇的に変わったのは
いつの頃だろうか。
私は、バブル崩壊後の十数年以上前から、
年功序列・終身雇用という
制度が崩れ始めたと記憶している。
少し前のことなのだから、“こんなはずじゃなかった”と、
言いたくなるのも無理もないか。
また、こんな事例も最近多い。
絶対安定だと思って入社した大企業。
ある日突然消滅したケースは、バブル崩壊後は枚挙に暇がない。
こういう時は、大抵の場合、朝の新聞かニュースで自分の会社が
消えたことを知ることになる。
まさしく突然死。
社員としては、“こんなはずじゃなかった”。
青天の霹靂だろう。
都市銀行はどうだろう。
昔、銀行の支店長と言えば、ひとつの憧れのポジションだった。
全盛期には、そこそこの駅前には、都市銀行の数だけ支店があった。
つまり、その数だけ支店長が存在したということだ。
それがひとつに統合されたということは、支店長の席がひとつになったわけだ。
支店長を目指して新人銀行員が入行してきた時代にはあり得なかったことだ。
人生の大先輩がよく口にする。
「人生はのぼり坂、くだり坂、まさか」であると。
のぼり坂、くだり坂は成長のためには欠かせない。
山あり谷ありなのである。
だが、できることなら“まさか”は減らしたい。
“こんなはずじゃなかった”と嘆く40代にならないために、
今の若者が知っておく、感じておくことは幾らでもある。
今後、今の中高年の人が経験した“こんなはずじゃなかった”は、
滅多な事では起こらない。
なぜなら、すでに社会は変わってしまっているのだから・・・。
それに気づくことが最も重要だ。
そして、時間がたっぷりある若いうちに、
今起こっている社会の現実を敏感に感じ取り、
少しずつでも社会に適応するためのトレーニングを
しておきたいところだ。
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