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情報が溢れる社会、人間らしく生きるために考えておきたいこと

私達が日々生活している先進国・日本では、驚くぐらい情報が溢れている。
ビジネスの観点では、随分前から情報化社会に突入したと言われている。
ビジネスパーソンを取り巻く世界で情報過多が問題視され、
日常生活でも情報が溢れだす。

これがストレスの要因にもなり、気が休まる時間がほとんどない。
ビジネスの場合は、必要に迫られて情報を探しにいくがゆえに情報の洪水に
巻き込まれているという側面はあるが、今は普通に田舎で生活しているだけでも
あちこちから情報が飛び込んでくる。
その最大の原因はネット社会の出現であり、その急速な進展である。
最近は特に加速度的に国民全員がネット社会に深く浸かりだした。
無人島で情報通信を遮断した生活でもしない限りは、平穏な精神状態での
生活は保てないのではと、ICTビジネスを本業のひとつにしてきた私でも、
ふと思うことがある。
 
情報を使って巧みにビジネスをしたり、人の思考や判断、時には思想にも
影響を及ぼしたり、仕掛ける側の進化は止まらない。
今、SNSが大流行しているが、一度のめりこむと底なし沼の様に
情報の洪水に流されていく。
スマホが生活の一部になってしまった人にとっては、知らないうちに
SNSで四六時中流れる情報が自分の脳と一体化する。
片時もスマホの情報を見ていなければ、落ち着かない。
これでは脳が休まる暇がない。
子供の場合は健全な脳の発育にマイナス面も多いと指摘する声は多い。
 
総務省が毎年公表している「情報流通インデックス」では、すでに人間が
能力的に扱える情報量をはるかに上回っているとの報告が以前からある。
人間が情報を処理できる能力を超えた情報が私たちの周りに
飛びかっているのである。
感覚的には、私自身も実感するし、日々の仕事でも比較的人よりも多くの
情報を扱うため、情報との付き合い方や扱い方に関しては心得ているつもりだ。
それでも、変化する情報社会に試行錯誤の毎日である。
要は、どうやって必要以上のストレスを溜めずに余計な労力をかけずに、
自分にとって有益な情報を見つけだし、仕事に活かし、生活を楽しむか。
この問いの答えは簡単には見つからない。
 
今の私の仕事は会社経営であり、
経営に役立つ情報に一番関心がある。
一方でプライベートの世界でも楽しく人生を過ごすために、
自分にとって有益だったり、刺激になるような情報には関心が
高い方だと思う。数多の溢れる情報や意図的なメディアに振り回されない
ように、情報の感度を磨いておこうとの強い意識もある。
実際に私の情報源ということで考えてみる。
プライベートな世界では今はネットも結構活用している。
なにか知りたいことがあれば、まずは、大抵はネットで検索する。
極めて便利になった。辞書替わりにもなる。

 

気になる本を探すのはいうまでもなく、漢字の意味を調べたり、
英語への翻訳もそこそこできる。
生活や知識に関することはネットでほとんどが入手することができる。
あとは、偶然に期待しながら買って読むアナログ的な雑誌類も結構読む。

ビジネスとしての情報収集源でもある経済新聞は、電子でも読むが紙が
やはり印象に残る。

時々見る日刊ゲンダイはテーマが頭の体操にとても良い。

どれも、今やネットでも見れるし、適度に計画性もなくアナログと
使い分けている。

 

  

 

そして、友人との飲みながらの雑談なども大切にしている。
結局は、結構、自由気ままに情報に触れていると言える。
 
一方、ビジネスの場合は視点が違う。
出発点は情報を使う目的を先に考える。
そして、情報感度を磨くための重要なポイントの基本は現場と人にある。
メディアやネットの情報はうのみにはしない。
例えば、昨日、Yahoo!のニュースで来日するベトナム人の犯罪が、
中国人を超えたとあった。
私もFBで引用してコメントしたが、私はこの記事には特に驚かない。
以前から知っていることだからだ。
知らない人から見たら、あの大人しい、従順そうなベトナム人が・・・と
思うことだろう。
とはいえ、ベトナム人と中国人の違いは20年前からそんなにない。
日本人とそれ以外で考えるのが一番だ。
つまり、外から日本を見るとこういう出来事の理由もわかる。
なにも、日本人が立派だと言っているのではない。
 
まだまだ、アジアの人たちは日本で暮らすには訓練が足りない。
FBにも少し書いたが、いろんな面での教育や躾が必要とされているのである。
ベトナム人の経営者たちもそのことはよく理解している。
教育を徹底しないと信用を落とすことになることを。
教育に時間はかかる。
急いてはいけないのである。
過熱気味の人材ビジネスにはトラブルはつきものである。
と、少々知っている世界はある程度の予測はできるのだが、
私は先日の米大統領選はヒラリーの勝利を信じて疑わなかった。
結局、メディアの罠にはまっていたのだ。
情けない話だ。
 
私は、ビジネスの世界では企業の情報活用について、
まずは自社の経営で色々と試行錯誤してきた。
そして、そのノウハウを活かして仕組みづくりの支援もしてきた。
情報共有化・活用支援サービスである。
弊社では15年前から基本的な情報活用のプロセスを
『情報の収集→共有→醸成→活用』と定義している。

 

 

今、情報の洪水で溺れている人の一番の問題は、
情報の収集の仕方とその記録の問題である。
記憶に頼りすぎると情報の洪水に流されやすい。
自分にとって有益な情報は記録することが重要である。
そして、情報収集の手法もとても大切だ。
情報収集はキュレーションと呼ばれている自動化が進んでいる。
そのうちに、世界中の情報データベースなどの情報源からAIが
最適解を常にリコメンドしてくれる時代も到来するだろう。
その時、大抵の人はすべて情報収集に対しては受け身になる。
誰かにコントロールされてしまうともいえる。
 
こういう世の中になったとしても主体的に能動的に情報を集める方法は、
人と現場を重視することである。
出来るだけ自分が現場に行き、五感で情報を掴む。
それと、信頼できる人の情報を重要視する。
ICTの目利きではなくて、人の目利き情報の価値が高まるはずだ。
人間というのは、人類誕生以来、社会性を備えた生物で、
人と人が繋がり、信頼関係を築くことで平穏に暮らせることができるように
できている。当然、自分が相手の人に信用されなければ、信頼のある人との
お付き合いはできない。
言い方を変えれば、人に対しての信用残高を高くすることでもある。
その関係から得られる情報で幸せに暮らす。
グローバルでなくてもよいのだ。
狭い世界でもよい、ローカルで十分。
 
世界がICTによって知らない間に繋がり続けるこれからの時代こそ、
人が本能でつながりを感じられる範囲のコミュニティで知りえた情報で
幸せに暮らす。
自らが信頼できる人に成長し、信頼できる人々と付き合っていく。
こういう関係性の中で生み出される情報が一番人間らしく生きるために
必要な情報になるのは間違いないだろう。

 

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