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【提言8】ICT革命で人間はどうなるのか?


今、世間を騒がせているICT革命はとても気がかりである。
「IOT」「データマイニング」「スマートシティ」「センサー」などの
言葉があちこちで飛び交う。専門家でもわかりやすく説明できる人は
少ないのではないか。
いわゆるバズワード(ICT業界でよく見る流行語。定義や意味が曖昧な用語)の
類であるから仕方のない部分もあるが、その中でも『AI』に関しては、
今後の人間の生活や仕事そのものに最も影響することは間違いない。


AIに関する書籍や記事が急激に増えてきている。(※2016年10月発刊当時)
それだけ、AIの実用化が現実のものとなりつつあるともいえるが、
一方で騒ぎ過ぎという感も否めない。
ICT業界や新たにICTでひと儲けしようと考える人たちがビジネスチャンス
とばかりに必要以上に騒ぎ立てているようにも感じる。
なぜなら、ICT業界は随分前からその手口でビジネスを拡大してきたからだ。
「IT」と呼ぶようになった十数年前から同じ手法を繰り返している。
今までは、企業経営者や専門家の関心の範囲内であったが、これからは、
一般の生活者、しかもアフリカなどの新興国などにおいても生活に密着した
テクノロジーになりつつある。


私もこのテーマに関して気になる書籍などはできるだけ目を通すようにしているが、
次の本は、なかなか示唆に富んでいて面白かった。


AI時代の勝者と敗者」(日経BP社・2016年6月)
なかなか、好奇心を掻き立てるタイトルではないか。
センセーショナルなタイトルに思わず食指が動いた。
本書は400頁のボリュームで、その内容は専門用語と数多くの外国人の登場人物で、
一般の人にはとても読みづらい。私も途中で断念しかけたが、宝探しの心境で
なんとか読破した。そんな難解な本書はなぜか引き込まれる。読み終えての
率直な感想は「大いに賛同できる結論であった」だ。


私は、平均的な経営者よりもアジアやアフリカに触れることが多い。
言うまでもなく、日本のような先進国に比べると、生活水準は低いし、
不便で、不衛生。初めて接した瞬間、私もさすがに敬遠したくなることもある。
しかし、しばらくすると子供の頃の原体験が体の芯から蘇ってくる。
なぜか、ワクワクするのだ。そして、貧しくても現地で懸命に生き、
目を輝かせている子供たちを見ると、生きる力とは何かを感じさせてくれる。


一方、こういう場所でもすでにICTは浸透しつつある。
携帯電話やスマートフォンに始まり、インターネットを利用した
タクシーの配車システムも登場している。不便の中で生活していることこそが
イノベーションの原動力となる。


私は、先進国日本を中心にICT活用の仕事に約30年間携わってきた。
中国、韓国、台湾やベトナムなどの新興国のICTの浸透の現場を見始めて
約20年だ。日本とこれらの国々を常にさまざまな角度から比較してきた。
そして、ここ数年は新興国と日本のICTの活用の違いはどこにあるのかを
考え続けてきた。ひとつ言えることは、人間らしさを失いつつあるのが
先進国日本であるのは間違いない。確かに、科学技術の進化やICTの
進化の恩恵は、今の日本の豊かな生活環境を眺めれば子供でも理解できる。
確かに便利になった。仕事も効率的になった部分は多い。
ICTをベースとしたサービスはこの10年で数多く誕生した。


しかし、日本は超ストレス社会でもある。
しかも、日増しにエスカレートしている。
通勤時間帯に東京の品川駅に新幹線から降りると、通勤ラッシュの
群衆に飲み込まれる。アジア慣れした私には、失礼ながら不幸せそうな
背中の隊列にしか思えない。日本の地方にも頻繁に出向くが、
そちらは東京に比べれば不便だ。しかし、幸福度は都会よりも
田舎が間違いなく高い。


AIが話題になるにつれ、数十年後に多くの仕事が消えると言われている。
私もこれには同意だ。ただ、歴史の変遷を改めて俯瞰すれば、
約200年前の産業革命以来、多くの職業が消え、それに匹敵する
新たな職業が生まれている。これは産業の新陳代謝ともいえるだろう。
歴史から学べば、今回のAI革命も延長線上に捉えることができる
という見方もあるだろう。しかし、今回の革命は少し様相が
異なるのではないかと考えている。過去の産業革命との大きな違いは、
知的活動や知的労働にAIが置き換わると言われている点だ。
単純な機械化や自動化の話では済まない。前出の書籍の論点の軸も
ここにあると私は理解した。私も常々考えてきたことでもあり、
最後まで諦めずに読み終えてよかったと思った次第である。


現状、ICTビジネスの功罪はそれぞれ等しく光と影を
社会と経済にもたらしている。
企業経営における業務改善や基幹業務の自動化などには
確かに貢献はしている。しかし、20年以上前から言われ続けてきた
企業の付加価値創造や新事業創出という意味では、
いまだに突出した社会貢献型の企業は生まれていない。
従来の科学技術の分野はイノベーションの連続だったが、
ICTに限っていうと、一見、社会生活に役立っているようで、
問題を増殖させているともいえる。顕著な例が、ECであり、
オンラインゲームの類であろう。この2つを同列にするのはおかしい、
と思われる方も多いだろう。
しかし、便利で「配送料なし」のECにはしりすぎて運送業者の
過当競争を引き起こし、結局は「誰が荷物を運ぶのか?」という
究極の課題を解決できないままでいる。言い方を換えれば、
最初からわかりきっている根本的な問題に誰も直視しようとしない。
そこへ、ドローンを使って宅配しようという発想が生まれ始めている。
国土が果てしなく広い米国やロシアならば検討の余地もあるが、
こんな狭い日本の国土でなぜそのような発想になるのか理解に苦しむ。
ドローンにモノを運んでもらって幸せになるのは誰なのか?
もっと人間的に、知的に、創造的に、物事を考えられないものだろうか。


ゲームに関しては、私はすでにあらゆる場面でメッセージを
発信し続けている。この分野こそ、罪の方が多いのは明らかだ。
そんな中、「ポケモンGO」のニュースが世間を駆け巡った。
確かにそんなゲームに癒されている人もいるだろう。
だが、政府まで巻き込み、トラブル対策に躍起になるなど
開いた口が塞がらない。会社を創業した20年前から「ワクチンゲーム」を
いつか開発したいと思っている。ゲームをなくすことができないのであれば、
人間の成長(大人も子供もという意味)に悪影響を及ぼすゲームをしなくなる、
もしくは地球の未来のことを自然と考えることのできるゲームを開発したいと
今でも考えている。


本論に戻るが、前出の書籍は「スマートマシン」という表現で
AIとAIに関連するICTのことを表現している。
ここにはロボットも含まれている。この本を読まずとも
わかっていただけると思うが、勝者は言うまでもなく人間である。
敗者は誰もいない。この本のどこにもそうは書いていないが、
私の読み終わっての感想だ。


――AIが人を使うようになる
――人間はAIに勝てない


これは一部で正解である。今の日本のワークスタイルと
労働者のスキルをベースに考えると特定分野で人間はAIに負けると思う。
近い将来、本当にスマートマシンと共存して仕事をするのが
当たり前になった時、人間は努力して成長していくことが求められる。
先ほども触れたが、アフリカやアジアで生活している人には、
良い意味でも悪い意味でも「人間らしさ」を強く感じる。
生きるのに必死なのだから当然だろう。


一方、日本人は生きるということとどのように向き合っているのだろうか?
生きること自体は容易い社会である。ゆえに恵まれすぎて茹でガエルに
なっているのではないか。正直、どうでもよいと思えることに悩み、
ストレスを抱える。このまま日本人が、AIに支配されないように
人間らしさを強くしようと思っても一部の人以外は無理な話だと感じる。


日本の将来の課題は、新興国などから学び、学習する努力を続けながら、
いかに人間が主役として、より一層人間らしい生活をするために、
AIをどう活用し、どう共存するかという点に集約されている。
ならば、子供の頃からこのような教育や訓練が必要になるだろう。
子供にプログランミングが必須な時代が来ているという。
論理的思考の人間を育てることが無意味だとは思わない。
しかし、AIが当たり前の時代を見据えて、大切なのは右脳の方ではないか?
そちらの教育の方がAI時代に人間らしく生きる上でより大切だと
思っているのは私だけではないだろう。

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(近藤 昇 著 2016年10月15日発刊
もし、自分の会社の社長がAIだったら?
PartⅠ 社会への提言-【提言8】ICT革命で人間はどうなるのか? より転載)