ベトナムをはじめ、アジア各国を飛び回っていると段々と目が慣れてくる。
10年以上前に初めてベトナムに訪れたときは、見るもの感じるものすべてが
新鮮であった。現地の郊外で水牛など見ようものなら、昔を思い出しウキウキしたものだ。
こういう体験がある。息子が小さかったとき、都会育ちの彼を徳島の実家に
つれて行ったときのことだ。普段おとなしい息子が、田舎に滞在中、
常に声がワンオクターブ高くなり気持ちが高ぶっているように見えた。
思わず別人に見えた。きっと、あれは自然の持つエネルギーに刺激を受けたのだろう。
今の日本人が、新興国や発展途上国などに初めて訪れると、似たように刺激を受けて
テンションが上がる。これは、年代・性別に関係なくあてはまる。
人によってテンションが上がる理由はそれぞれ異なるだろう。
私の世代以上の人は、昔の日本を思い出し、懐かしさを覚えるのではないか。
まさしく「三丁目の夕日」の時代を彷彿とさせてくれる。
とりわけ高度成長期に自力で戦った事業家は血が騒がずにはいられない。
一方、若い世代は今の日本では存在しない環境や人の生活になにかを感じ、
理由は定かではなくても刺激を受けるのである。
人間は長年、平穏で平和な環境に身を置いていると、ときには刺激を求めたくなるものだ。
刺激を受けると、発想も豊かになるし、視野が広くなる。なによりも前向きになる。
刺激というのは、イキイキと生きるための原動力だと思う。
「ゆでガエル状態」になっている今の日本人がアジア新興国に触れることは
この意味でも大切なことである。
私自身、日本の経営者にアジアの今を伝える機会が多い。
それは酒宴の席であったり、アジアビジネスをテーマとするセミナーの場であったり
さまざまだ。以前から、反応がすこぶるよいネタをひとつここで紹介したい。
―確かに、そうそう!
―これは斬新だ!
―刺激になった!
こんな反応が返ってくるのだ。それが、本項のタイトルにもなっている
「水牛とスマートフォン」である。図7 -1を見ていただきたい。
ベトナムやカンボジアなどは、農業が最大の産業であり、いたる所に農地がある。
そこには、普通に水牛や牛がいる。昔の日本でもよく見た光景だ。
昔を知っている日本人は、懐かしさを覚え嬉々とする。
こんな場所でスマートフォンが当たり前に使われている現実を目の当たりにすると、
経営者の脳には電流が走るのである。今の日本人の発想では考えられないことなのだ。
私は、子供の頃には水牛の時代も経験しているし、大人になり、
スマートフォンの時代も体験もしている。しかし、同時には経験していない。
これをビジネスの視点で考えてみよう。日本人の現代的な経営者にはまったく
未経験の経営環境がそこに存在するわけである。意外と知られていないが、
ICTやネットだけでなく常に最先端技術は世界中で利用可能だ。
もちろん、こんな水牛の風景が広がるアジア新興国の各地でも同様だ。
日本のような国はその最先端技術をみずから開発して技術の進化をリードしてきた。
それと同時に、技術の力で生活をより便利に発展させてきた。
日本人にとってスマートフォンといえば、超高層ビルの風景が自然であり、
当たり前なのだ。しかし、ベトナムのような国では、いわば日本の数十年前のような
場所や環境に先進国の最先端技術やしくみがすでに浸透しているのである。
日本人の目線からすれば、まるで最新技術の携帯端末などを持ったまま
タイムマシンに乗って過去に行き着くようなものだ。逆に、初めて日本に来た
ベトナム人たちが、その光景を見て「未来の国」と漏らすのと似たような現象かもしれない。
日本は先進国である。本書のテーマでもあるICTの有効活用に関しては
課題が山積している。しかし、ICT活用の分野でもトータルで見れば先進国なのだ。
しかも、すでに本当に役に立っているのかという疑問符がつくビジネスも少なからず存在する。
その最たるものが、ゲームビジネスだ。私もトランプやゲームは大好きだ。
子供の頃、インベーダーゲームを楽しんだ世代でもある。
だからすべてのゲームを否定はしない。しかし、こういう光景を見て皆さんは
日本の未来が心配にならないだろうか?通勤ラッシュ時に、大抵の人が
スマートフォンをいじっている光景は当たり前のようになった。
電子新聞でも読んでいるのかと思えば、多くの人たちがはやりのゲームに夢中になっている。
この日本人の姿をアジアの人が見たらとても滑稽に映るだろう。
大人がそうなのだから、子供の世界も乱れてくる。子供たちが悪いのではない。
そんなゲームに夢中になり、他のことを考えられなくするくらい、
巧妙に仕組んで膨大な利益をあげている企業側に問題があるのだ。
さらには、こういう高収益の企業を短絡的に評価し、称賛する人たちの考え方も
理解に苦しむ。合法、非合法の問題ではない。国を憂う人々は、そのような企業の
モラルに憤りを感じている。
一方で、日本は農業が瀕死の状況である。さまざまな問題はあるにしろ、
最大の原因は美味しくて、安心・安全で、美しくて健康に良い農産物を
【安く】手に入れたいと思う消費者ばかりだからだ。
ゲームに無駄なお金を浪費する暇があったら、精魂込めて汗水流して農家がつくった
素晴らしい野菜を【高く】買ってあげればよいだけだ。
このあたりが教育現場から変わることを願いたい。
私自身、いつか、ゲーム中毒者向けのワクチンゲームを開発したいと思う。
射幸心を煽るたんなる娯楽ゲームではなく、環境問題や社会問題、
世界の貧しい子供たちと交流することができるゲームだ。
そういう世界を経験すると、従来のゲームがバカバカしく思えてくるだろう。
こんなイメージのゲームをつくりたい。
発展途上国では日本のICTやインターネットのビジネスプラットフォームが
貢献できるところはいくらでも見えてくる。情報配信にも教育にも使えるだろう。
そのような国々でビジネスを成功させるには、日本とはまったく異なる発想が求められる。
もちろん、日本がかつて歩んできたやり方が通用する分野もある。
それは、外食、建設、農業といった分野だ。
水牛とスマートフォンを見て驚かなくなったときこそ、日本がアジアに適応したと
いえるのではないだろうか。
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(近藤 昇 著 2015年9月30日発刊
『ICTとアナログ力を駆使して中小企業を変革する』
第7章 水牛とスマートフォンを知る-水牛とスマートフォンを知る より転載)