当社のアジア拠点のベトナム・ホーチミンから、
アジアの主要都市を約10日間で巡った。
実はこのような経験は初めて。
ホーチミンから、まずは上海に飛び、
ビジネス交流会の準備を。
上海の夜は20年来の中国人の友人と
北京ダックに舌鼓を打ちながら、
中国での事業戦略について話し合った。
翌日には数人と面会した後、ホーチミンに戻り、
その2日後からシンガポールへ飛んだ。
シンガホールではオープンしたてのカジノを体験。
そして事業パートナーとの意見交換。
あのリーマンショックから完全に立ち直り、
直近の成長率は世界一とのこと。
シンガポールの政治力、経済力の凄まじさを実感した。
その翌日から3日間、インドネシアのジャカルタへ飛び、
シンガポール経由で、ホーチミンに深夜に戻り、
翌朝、成田に戻ってきた。
我ながら、いささか強行スケジュールの感はあったが、
限られた時間の中で、実に密度の濃い出張となった。
各地で今の時期にどうしてもお会いしたい多くの方々と、
アジアビジネスの今後の展開や協業の方策について、
深く議論できたことは大変有意義なことだった。
ホーチミンから各地へ出張することは何度も経験済みだったが、
今回のようなフライトは初めてだった。
違うパターンでアジアを巡ってみて、
今まで気がつかなかったことがいくつも見えてきて、
新鮮な体験が体に刻まれた。
そのひとつは、気候について。
私の抱いていた先入観が覆った。
まず、ホーチミンから上海に到着した時から、
いきなりうだるような、蒸せるような暑さが出迎えた。
聞けば、気温はなんと40度。
ちょうど、一週間前に上海を訪れていた友人の社長から、
「暑いから気をつけてね」
とメールで連絡はもらっていたので、
多少の心の準備はできていた。
とはいえ、気温40度の体験はそうそうできるものではない。
発展著しくコンクリート化が急速に進行する大都市上海ならではの、
ヒートアイランド現象の影響も大きいのだろう。
中国近代化を肌身で感じた。
ホーチミンに戻ったときは、なんと涼しい場所かと思えた。
ちなみに、この時のホーチミンの気温は
平年並みの32度程度だったと思う。
シンガポールもジャカルタも上海に比べて、
はるかに過ごしやすかった。
一通りの仕事を終えて、東京に戻り、これまた猛暑の出迎え。
連日35度とは驚きだ。
考えてみると、日本列島の中でも寒暖の差はあるが、
『猛暑の東南アジア』という先入観が見事に覆された出張であった。
この出張で再認識したことは、
やはりアジアでビジネスするならば、
アジアに主要拠点を置いていたほうが効率が良いという点である。
日本人は、どうしても日本の国土からアジアを見てしまう。
一方で、当たり前のことだが、日本以外のアジア人は
アジアからアジアを見て、アジアから日本を見る。
内田樹氏の著書「日本辺境論」(新潮社)を読むと、
そのことがよく理解できる。
私なりにシンプルに要約すると、
「日本は、アジアの大陸から見たら辺境の場所にあり、
辺境の存在である」ということだ。
確かに、当社のアジア拠点の中心であるホーチミンは
日本からだと近くても関西国際空港で約5時間はかかる。
一方、バンコクに飛ぶには1時間強、
シンガポールへ行くにも2時間程度だ。
上海に行くのでも約3時間。
ハノイからだと1時間強。
これは、仮にシンガポールから見ても似たようなことである。
なんと便利なことか。
日本を拠点にアジアを巡っていたら、
コストも時間も体力も浪費が多い。
地理的な辺境にある日本は、
これからのアジアビジネスで相当不利だといえる。
そんなことを思いながら、帰国して日経新聞で
興味深い記事(8月26日)を見つけた。
商社の双日がアジアでビジネス機事業を
開始することを伝える記事だ。
フィリピンを拠点に、日本も含めてアジアの
主要都市を結ぶアクセスラインを構築するという。
さすが商社の目の付けどころは素晴らしい、と思わず膝を打った。
すでに、アジアの各国に、バジェットエアラインが就航している。
今後も低価格航空サービスはどんどん増えそうだ。
ますますアジアはボーダレス化が進んでいく。
ビジネスも飛行機でどこへでもひとっ飛び。
そんな中、辺境の場所の日本はどうなることやら・・・。
私が、航空インフラのことを心配してもどうしようもないが、
いっそのこと、日本の企業は本社機能をアジア各都市に移す方が、
手っ取り早いのかもしれない。
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