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私の上司はアジアの人

就職活動シーズンが始まり、学生が最適な就職を求めて活動を始めた頃だろう。
当社も、例年にも増して力を入れて将来を託せる人物を求めて求人活動をスタートした。
こういう時期に合わせて、メディアも今年の就職事情や若者の職業観といった記事を発信する機会が増えてきた。
そんな中、最近強く印象に残った記事がひとつあった。
それは若者に対してのアンケートだが、

「自分の上司がアジアの人だった場合、どう思うか?」

という内容だった。
驚いたのは、特に抵抗もなくウェルカムである、という意見が一番多かったこと。
一瞬、若者もいよいよ世界に目を向け、アジアで働くことにも積極的な意識が芽生えだしたのかと思った。
しかし、私の実感としては現実は相当ギャップがあるようだ。

  

  

私達が就職した頃と違って、今の若者は我慢する機会が減った。
中国などで一人っ子政策の欠点として見られるように子供の数が減ることで、わがまま傾向に拍車がかかる事なども一因だろうし、そもそも、日本全体がゆで蛙状態の中、大人に成長する過程で、甘えた環境であることなどさまざまな要因が影響している。
それに相関するように、学校ではいちいち先生の評論をしたり、良い先生を追い求める傾向が、親子共に強くなってきたように思う。
私は、子供から見たら親も選べないように、学校の先生も会社の上司も選べないという現実を若い人には必ず伝える。
ある意味、理不尽に思えることかもしれないが、最初の一歩は、まずは、先生にしても上司にしてもそこで我慢も覚えながら、成長していけば良いのである。
最近は、上司が良い上司ではない、そりが合わない、厳しいなどの短絡的な理由で会社を去る人も多い。
もっとも、新米の立場で上司を変えることができる道理がないのであるから、我慢するか去るしかない、という選択になるのだろう。
繰り返すが、仮に就職活動で、仮に会社は選べたとしても、そもそも、上司は選べないのである。
だから、良い上司であろうと、悪い上司であろうと、自分の成長の機会と捉えるほうが自分にとって得なのである。
付け加えておくと、本当の意味で良い上司など、10人に1人ぐらいしかいないものでもある。

 近藤昇ブログ-0224A-5 近藤昇ブログ-0224A-6

こんな事を、仕事や普段の生活の中で考えている私としては、冒頭の記事はあまりにも驚きだったのである。
私なりの会社は、世間がアジアブーム、アジア人の上司がなんとなく理想の憧れの上司像に映っているがゆえの、アンケートの結果なのだろうと解釈している。
昔でいえば、英語で話する欧米企業の上司のように。

アジアビジネスにどっぷり浸かっている私としては、10年後の“イケている日本の就職事情”をこういう風に考えて、提唱している。
それは、社会に入る学生の少なくとも3割から5割は、アジアにある日系企業ではなく、ローカル企業にダイレクトに就職する時代が来ると思っている。
逆に言うと、そうならないと、日本の誰もが望んでいる、“アジアで存在感を維持しながら、ビジネス活動をイーコールパートナーとして進めること”はできないと思っている。

日系企業だから、現地においても上司が日本人で、部下が現地人という構図は徐々に変わりつつある。
この変化は序章に過ぎないのである。
最終的には、日本人がアジアや世界のどこの会社でも個々の真の実力で活躍する時代が来て初めて、日本人も真の意味で、個々に自立したといえるだろう。
ただ、その道のりは険しい。
そもそも、日本人の上司に我慢できなくて、文句を言ったり、途中で投げ出したりしている現状で、どうやってアジア人の上司の下で働くことができようか?
一刻も早く、甘えた環境から飛び出していける力を身に付けて欲しいものだ。

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