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未開の地・ミャンマーは魅力たっぷりの国

ある方との出会いがきっかけで7月の中旬に急遽、ミャンマーを訪れた。
以前から視察する計画はありながら、なかなか時間的に調整がつかなかった。
今回は、最初は一泊二日の弾丸ツアーで向かう予定だったが、
入国手続きの関係とフライトスケジュールとの兼ね合いで、急遽1日増やした。
予定よりさらに1日前の出発。
ホーチミンからダイレクトのミャンマー行きではなく、
わざわざカンボジアのシェムリアップに入り、
そこからミャンマー航空でヤンゴン入りしたのである。
その理由は事前にビザを取得しておらず、
アライバルビザで入国できる唯一のルートだったからである。
1年前は、すべてのルートでアライバルビザが使えていたようである(この
あたりは真相は定かではないが)。
こういう国は、法律や制度が急に変わるので要注意ではある。

ミャンマーには実質、2日しか滞在しなかったが、実りある滞在になった。
実質、1週間分ぐらいの体験ができたと思う。
ミャンマーも東南アジアであり、
基礎の部分はベトナムや周辺国で十二分に経験しているので、違和感がなく、
アジアの他の国とミャンマーの違いにだけ、目が自然と向いた次第である。

まず驚いたのが、シェムリアップからヤンゴンに入るミャンマー航空。
夜遅かったからかもしれないが、約200人乗りの飛行機に私たちを含めて、
たった20人程度で、大半が外国人。
おかげで、まるでビジネスクラス並のサービスが受けられたのである。

ミャンマーは人気がない?
それともやっぱり怖い国?

そんなことを思ってしまった。

翌日、ミャンマー人の知人のお父さんが市内を案内してくれるということで、
お世話になった。
このお父さんは70歳を超えていたが、
親切でいつも笑顔。
色々と案内していただいた。
日曜日であったが、それなりに活気がある。
なんせヤンゴンは少し前までミャンマーの首都であり、
人口が約600万人の大都市である。
街並みは余裕のある古都という印象だ。

一番驚いたのは、街中に日本の中古車が溢れかえっていたこと。
うわさでは聞いたことがあった。日本では廃車になるような車が、
貧しい東南アジアやアフリカに流れているのだ。
それにしても、である。
ほとんどの車がトヨタのスプリンターなのだ。
あとはカムリなど、
20年前ぐらいに日本で流行っていた車が大量に走っていた。
多分、20年、15年落ちの中古車というグレードだったかと思う。
また、日本語が書かれた市バスが普通に走っていた。
日本からの“お古”である。
こういうのを見ていると、
「日本は意外なところで貢献しているんだな」
とつくづく思う。
同時に、日本製はやっぱり品質が良いし、丈夫で長持ちすることを実感する。

また、ベトナムと雰囲気がまったく違う理由は、
バイクがほとんど走っていなかったためである。
その理由は、ヤンゴン市は少し前に事故の多発や渋滞のため、
政府関係者以外は全面禁止になったとか。

昼は、日本料理屋で昼食。
「ふるさと」というお店だ。
日本人女性がミャンマー人と結婚して、
約20年前から営んでいるとのこと。
おかみさんには会えなかったが、なかなか、上等の日本料理だ。
ガイドをしていただいたお父さん曰く、
「ヤンゴン市内に日本料理屋は15店舗ほど」と。
日本の存在感は既にあった。

また、市中でリサイクル市を見つけ、またまた驚き。
道路の脇に多くの人が、敷物の上に、中古品を並べて、商売中。
雨が降り出していて、その様を見てビックリ仰天。
電気のコード、携帯の基盤などなど・・・電気製品が濡れてもまったく気にしないそぶり。
多分、使用目的を知らないおじさん、おばちゃんたちなのだろう・・・。

夕方は、ローカルマーケットやローカルな飲食街を探索。
この日は、何がローカル食なのかもわからず、ショッピングセンターで
博打的にオーダー。
ミャンマー料理らしきものが登場したが、料理全体はインドに似ているのかも
しれない。
なかなか美味しい。

2日目は、視察もかねて、早朝からゴルフ場でプレー。
ところが、ここでゴルフ場から手厳しい洗礼を受ける。
とにかく、田んぼのようなラフのゴルフ場で、普通に歩いていると、
3~4cmほどシューズが沈む。
前日が雨だったこともあり、フェアウェイでもひどいぬかるみ。
水はけがあまりにも悪いのだろうが、とにかく足腰が鍛えられるゴルフ場で
ある。

ただし、昼食は正真正銘のミャンマー料理を堪能。
やはりインド系の料理に近いのかもしれない。

全般的に不便だったことは、通信の自由が制限されている点。
インターネットへの接続が不便である点は、ある程度事前に情報収集していた。
しかし、まさか電話まで・・・とは。
携帯電話ではなく、固定電話までも不便だ。
ホテルから外部に電話する際は、オペレーターに電話番号を伝えるという、
極めてクラシックなスタイル。
文明の利器に慣れすぎた身には、かなり堪えた。

最後に印象深かったのが、イギリスの植民地だった影響だろうか、
英語ができる人が多かった点だ。
一方、日本語を話せる人も、他のアジアの国々と比べると、相対的に
多いのではないか。
マーケットで買い物をしていると、突然日本語で話しかけられる。
それもかなり流暢な日本語だ。
「日本に来たことがあるのか?」と聞くと、「ない」と。
国内で勉強したにしては上手い日本語。
ミャンマー人のポテンシャルの高さを感じた。

短い期間であったが、冒頭で述べたように、非常に収穫の多い滞在であった。
さまざまな規制も存在するため、
すぐに何かを始めるのは難しいかもしれないが、
将来のビジネスイメージに想いを馳せるとなかなか楽しい。
ミャンマーでビジネスを展開する日も、そう遠くないと思う。

  

  

  

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