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リサイクルは『ビジネス』なのか? 『人類の義務』なのか?

これは知る人ぞ知る事実。
18年前、当社創業時のメイン事業はリサイクルビジネスだった。
今でこそ、リサイクルビジネスは一般の消費者でもピンとくるが、その当時は、ほとんど認知されていなかった。
フリーマーケットが世間でようやく広まりだした頃のことである。
私達は、大きな志と夢のあるビジネスチャンスへの期待で胸をワクワクさせながら、ニュービジネスである「おさがりの会」を立ち上げた。

 

ところが、有限会社ブレインワークスが運営する「おさがりの会」は懐疑的な目で見られた。
それに輪をかけて、何やら胡散臭い集団と見られたこともある。
当時、私は31歳だった。
スタッフも20代がほとんど。
若者の集団というだけで特段怪しまれる理由はないのだが、
扱っていた商品自体が不釣合いだったのだと、今にして思う。

“おさがり”とは、古い世代は誰もが知っているあのおさがりのこと。
農家の男三兄弟の次男坊であった私は、一歳上の兄貴のおさがりばかり
着ていた。
もっとも兄も新品を着ていたわけではなく、ほとんどは、親戚からのおさがり。
今の時代では信じられないだろうが、40年前ぐらいの日本の田舎では、
平均的な家庭では当たり前のことだった。
このおさがりを使う理由は、一番には金銭的余裕がなかったという理由が
大半だ。
それともうひとつは、豊かでないが故、物に対してとにかく“もったいない”
という精神や考えが当たり前の時代だった。
食べ物から生活に関わるすべてのものは、そうだったことを記憶している。

私は、娘が3歳の時に、子守りをしていてビジネスを思いついた。
ビジネスの仕組み自体は誰でも思いつくものだ。
簡単に説明しよう。
売りたい人や譲りたい人から、いらなくなった服やベビーカーを受け取り、
買いたい人に売るという仕組みだ。
ほとんどが中古。
たまに新品も混ざっていた。
そこで、私達は会員制で商売を始めた。
それが「おさがりの会」だ。
ピンクのカードサイズの会員証を作った。
会員の募集はお母さんが住んでいそうなマンションや戸建に
徹底的にチラシを配った。
俗に言うポスティングの技がこの時に磨かれた。
チラシは、ワープロソフト「一太郎」で作って、これまたピンクの用紙に印刷して配った。
時々、新聞折込もしたが、やはりポスティングの効果は絶対。
数ヶ月で会員があっという間に1000名を超えた。

私の自宅の一室は倉庫と化し、日夜、品物を集めてきては、整理と値付けの
毎日。
おかげで、ベビー服、ベビー用品などのブランド名、価格帯などにも相当詳しくなった。
大型のベビーベットやブランコなどは、ポラロイドカメラでアルバム化して、写真を見てもらって販売をした。
インターネットがなかった時代のことである。
今であればネットオークション。
その原形となる手法といえよう。
電話、FAX、写真、そして、パソコンで作成した会員管理、販売管理システムで業務を稼動させていた。
事業計画上では、2年で会員数1万人突破。
月商1000万円以上。
とらぬ狸の皮算用で、夢を見ていたものだ。
当然、リサイクル、リユースという視点で、本、ゴルフ用品、パソコンなど、幅広く商品の取り扱いを増やし、店舗の出店も計画書には盛り込んでいた。

しかし、1年でこの事業は中止に追い込まれた。
神戸を襲った阪神大震災で半年近く、交通機関が機能しなくなったためだ。

あれから20年近く経ち、日本ではリサイクル事業で成功した企業がさまざまな分野で数多く登場した。
それにつれて、自然とリサイクルビジネス、リサイクル産業という言葉も定着した感がある。
ところが、アジアでビジネスに邁進する中で、日増しにこのリサイクルビジネスについて改めて思うことが増えてきた。
日本の今のリサイクルビジネスは、本当に意味があるのか?
役に立っているのか?

リサイクルやリユースが広がりつつあるとはいえ、実際、日本では相変わらず新品の商品をどんどん作り、売り、そして余った商品を大量に捨てている。
季節外れや旧世代の商品は、在庫がだぶつくと、新品市場にマイナス影響が出るので、破棄したり焼却するのが実態だ。
物品が不足しているアジアや途上国で利用されるケースは稀である。

本来、リサイクルというのは、世界的な見地に立てば、

地球の限りある資源をどう有効利用するか?
資源を使わざる得ないにしても、いかに効率よく無駄なく使うか?

という認識が当然のはずだ。
そういう意味では、日本のリサイクルは、産業化されつつあるという意味では
少しは価値があるが、地球規模で考えれば、本当に貢献しているとは
言い難いのではないか。
いかにも、日本の中だけの独りよがり、独善的な仕組みにも見える。

アジアでビジネスをしていると、私達日本人に見えないことが見えてくる。
このリサイクルのテーマにしてもそうだ。
昔、神戸の焼肉屋でアルバイトしていたアラビア人が自慢げに話していた。

「日本は、私達から見たら宝の山です。
 だけど、それが何かを教えてあげません」

  

私のベトナム人経営者の親友は、以下のように話す。

「今からはキューバが面白い。
 ベトナムの中古はキューバに売れるから」

日本からベトナム、そしてキューバ。
視点を変えれば、日本が贅沢三昧、無駄づかいをしている商品は、分野によらず何度でも役に立つことに気づく。
いずれにしても、ビジネスの視点だけでは、地球規模でこのリサイクルが本当の意味で機能するのは難しいだろう。
しかし、企業は社会貢献の前に、利益を出して存続しなければならない宿命にある。
リサイクルビジネスはいつになっても単なるビジネスに過ぎないと思う。

これからは、商品を買う側、使う側が、いかに賢くなるか、が問われている。
日本の消費者は、世界的な視点を持ち、“おさがり”の意味を考える必要があると思う。

  

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