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カントーの人々との交流で見えてきたこと

2月上旬にカントーでお会いした方々に約束したとおり、
3月下旬、日本人の経営者一行でカントーを訪れた。
NATOと言われ続けている日本人。
ひとつずつ約束を果たしていくことが、相手から信頼され本気に
なってもらえる最大のポイントと確信している私は、
結構必死でカントー視察を段取りした。2日間と短い工程だったが、その時の様子をダイジェストで報告させていただく。
慌しくもベトナム人経営者たちのアグレッシブさと活動力を感じていただければと思う。3月21日から2日間。
日本人経営者とベトナム人経営者、総勢約20名の一行は夜も明けぬ早朝、
チャーターしたバスに乗り合わせ一路カントーに向けて出発した。
カントーの途中にあるミトーのドライブインで朝食と施設の見学。
ここは、日本の皇太子様も来られたことがあるようで、
その時の様子が建物内に掲示されていた。
普段はあまり実感がないが、こういう場所でこのような遭遇を経験すると、
日本人であることを実感できる。

実は、この視察の工程も最終が確定したのは出発日の3日前。
今回は私の友人に手配を任せたのだが、
日本人とは違って、彼らは【超】がつくぐらい臨機応変だ。
こちらは、参加者の日本人社長に迷惑かけれないので、ハラハラドキドキの連続。
彼らの行動は、慣れないうちは行き当たりばったりの連続で腹も立つものだが、
ベトナム人感覚で見れば、自然と道理にかなっている。

一例を挙げれば、参加者が増えてきたから、急遽、乗用車をバスに替える。
全員で一緒に行くように段取りをすます。
おかげで、日本人用に手配した車をキャンセルするはめになったのだが…。
工程もイベントもきっと、色々とぎりぎりまで相手方と調整していたのだろう。
約束が確約できないベトナム人であることは、同じベトナム人として百も承知だろう。
だから臨機応変なのだ。事情がわかってくると感謝の気持ちもわいてくる。

朝食を終えて、次に目指すはカントー大橋。
日本のODAと技術支援の象徴である。
ベトナム人も日本人一向は、この雄大な姿にしばし見入っていた。
宿泊予定のさくらホテルの経営するレストランで昼食。
ここの女性オーナーもウエルカムランチに参加。
彼女は日本が大好き。
だから“さくらホテル”なのだ。
魚中心のベトナムローカルな食事がてんこ盛り。
昼間からいきなりの酒盛りとなった。


事前にあらかたの工程はメールでもらっていたが、
なにせ交通事情の予測が難しい環境。
予定がどんどん変更になる。

遅くなった昼食の後、予定を組み替えて工業団地へ訪問。
事前には概要しか知らされていなっかたが、
到着や否やいきなりの本格的なミーティングのスタート。
総勢約50名ぐらいの大きな会議に。
地元のTVカメラもあり。ローカル色を強く感じる部分だが、
きっと、地元ニュースとして大々的に放映されるのだろう。
相手方の中に、日本人が2人混ざっていて、
現地でメーカーとして活動している日系企業の社員さんだとわかる。
こういう少数派で頑張っている彼らに妙な親近感を抱いてしまう。

続いて、知り合いが経営している家畜のフードメーカーを訪問。
夕食前は、いよいよメインイベントの農業体験と魚釣り。
ガイド役がアナウンスを始める。
長旅に疲れた面々は、ほとんどの人が不参加となる結果に…。
お付き合いもあり、私と一部の人で魚釣りへ。
本格的な川釣りかと期待していたが、なんと子供の頃によく見かけた
日本の釣堀によく似ている。
数人で釣果を競い、私が2匹吊り上げチャンピオンに。
昔とった杵柄が役に立ったか?
夜のパーテイで表彰までしてもらった。

しばし休憩の後、ホテルに隣接する広場でウェルカムを兼ねたガラディナー。
屋外に屋台風の地元料理が並び、中央には簡易的なステージが。
地元の有力者も沢山参加。
全体で150名ぐらいだった。
ほどなく、ダンスやカラオケ大会へ突入。
ベトナム人はとにかくノリが良い。
つられて私たちも参加。
日本のパオォーマンス芸を幾つか披露。
拍手喝采。
ダンスに歌にパフォーマンス…宴は深夜まで続いていたが、
私たちは別途2次会へ。


翌朝は、日の出前から水上マーケットへ。
果物や野菜などを売る船が水上を埋め尽くしている。
ここで見る風景、感じる空気に地元の人の力強さを実感した。
生きる力を感じるということは日本ではめったにないが、
カントーの人たちの生きる力はズシっと体に染み渡る。




ホテルに戻り朝食を済ませ、ビジネス仕様に変身。
ある程度は聞いてはいたが、ホテルのセミナールームを借り切っての
本格的なビジネス交流会の様子。
私も日本代表としてプレゼン。
質疑応答も闊達で、日本の進出に関しての強い意欲と好奇心を感じた。
一番驚いたのは、ホーチミンの都会では当たり前になった“スシ”が
まだあまり知られていないこと。
同じ都会でも都市部と地方のギヤップを感じた次第。
終了後、地元TVのインタビューをうける。


またまた宴会風の昼食。
ベトナム人は飲むのがとにかく好きだ。
ほどなく盛り上がったところで帰路へ。
なかなかの強行スケジュールだったが、実に充実した視察ミッションであった。
旅行会社や日系の手配だとこうはいかない。
現地の人たちの企画で実行された地元色豊かなミッションだからこそ、
郷に入れる。
機会を増やすことが、日本と東南アジアの架け橋には大事だと確信した。

次は、日本に来てもらう番だ。

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