去年ぐらいから急激な変化を感じる。
とにかく、飛行機がベトナム人と日本人で常に満席状態なのだ。
数年前なら、空席が多く、たまに横になって寝ることもできた。
隔世の感があるが、ようやくビジネスとしても
ベトナムと日本の距離感が近づいたことを実感する。
実際、弊社がベトナム関連ビジネスを始めて
およそ20年近くの歳月が過ぎた。
当時からのビジネスパートナーである
ジー・エー・コンサルタンツ株式会社の勝本社長とは長いご縁になる。
弊社の創業間もない頃に彼に強く誘われ、
ベトナムの事業をスタートさせた。
その頃は「なぜベトナムでビジネスをしているのか?」
という声が大半だった。まず、神戸本社にてベトナム人研修生数人を
ITエンジニアの卵として受け入れた。
そこで、ベトナム人の人柄や気質を感じ、
彼らを通してベトナム人と日本人の相性の良さと、
彼らのハングリー精神に触れることができた。
今でも当時の元研修生と縁が続いている。
なかでも研修生のひとりであった
グェン・バック・コア氏は、今でも親しい。
会うたびに常に謙虚な姿勢は変わらない。
本当に頭が下がる。
ベトナムに帰国後、自分の会社に“KOBE~”と名付け、
超親日派の一人として、ベトナムビジネス界で活躍している。
建築、ICT、都市開発、農業と
ベトナムの未来を背負う一人だと確信している。
弊社のベトナム現地法人のルーツはITのオフショア開発だ。
オフショア開発といえば、
中国の大連などでもまだまだこれからといった時期であった。
弊社は、中国人ITエンジニアも神戸本社で雇用していたので、
中国とベトナムのIT業界の変遷とギャップを今でも見続けている。
おおむねベトナムのIT業界は、
中国の10年くらい後を進んでいたと思う。
その後、現地の有力経営者のダン・タイン・タム氏と
ITエンジニア養成学校を設立した。
タム氏はベトナム最大の工業団地を経営していたが、
人材教育を一緒にやろうと提案すると2つ返事でOKとなった。
2006年に、日本語とITの基礎スキルを
習得する正式な学校「SGBJ」の運営が始まった。
卒業生の中で優秀な学生は弊社(日本)でも活躍したし、
お客様先で活躍した者もいる。
もちろん、弊社のベトナム現地法人においても
多くの卒業生が活躍した。
しかし、この事業は数年で大きな障壁にぶつかる。
リーマンショックで急激にITエンジニアの需要がしぼみ、
事業は休止を余儀なくされた。
その後、彼らはすでにさまざまなIT業界の会社で活躍している。
紆余曲折と葛藤の連続であったが、
ベトナムのIT業界発展の礎の
一部を築くことができたのではないだろうか。
この事業の魂は、現在のベトナム企業の支援および
日系企業の進出支援に受け継がれている。
約20年、本当に多くの経験をし、ベトナム自体も大きく変化をした。
数えあげたらきりがないので、今回はここまでとしたい。
結局は、先んじてチャレンジし、多くの失敗を重ねたことが
弊社の最大の強みだと感じている。
その繰り返しの歴史が弊社のベトナムビジネスの歩みでもある。
だからこそ、変化に適応できる自信がついたし、
今でもベトナムの変化を冷静に見続けることができる。
冒頭でも述べたが、ようやくベトナムと日本の距離が
ハッキリとわかるくらい近づいてきた。
ベトナム人にも日本という国の稜線が
おぼろげながらも見えてきただろう。
ビジネスにおいては、
これからの10年がまさに黄金期を迎えるだろう。
とはいえ、評論家の中には
「ベトナムはもう遅い。これからはミャンマー」と叫ぶ人たちも多い。
あまりにも現地を知らない発言だと思うし、
そもそも、ひとつの国を
長いスパンの変化の中で捉えていない考え方だ。
このような考え方は無責任ともいえる。
日本の自治体などがその典型例なのかもしれない。
「赤信号、みんなで渡れば怖くない」
日本人の特徴的な行動パターンともいえるが、
このような自治体の方々も昨年あたりから
積極的に現地に訪れるようになってきたのだから
本物と見てよいだろう。
私はアジア関連のセミナーや支援活動で
毎回話をするテーマがある。
『NATO』である。
「No Action Talking Only」の略語だが、
日本人の典型的な行動パターンを現地の人々が揶揄している。
このことを日本人は深刻に受け止めるべきではないだろうか。
あらためて、弊社の過去20年を振り返ると
それがよく理解できるだろう。
10数年前は
「ベトナムでなにをしているのか?」が周囲の反応であった。
正直、説明するのも大変だし、面倒だ。
10年ほど前から、
日本でも変わり者の社長などがベトナム詣を始めた。
その程度であった。
そして現在はどうか。
多くの日本人がベトナムに渡り、“なにか”をしている。
しかし、ベトナム人の期待値からすると
日本人は常に『NATO』で変わらない。
一方、韓国や中国、台湾は、即断即決である。
リスクも恐れず、さまざまなビジネスを構築してきた。
ベトナムもいよいよグローバル化の波に飲み込まれつつある。
海外勢との戦いが本格化するだろう。
ベトナム企業の多くは日本企業と組みたいと考えている。
日本企業の経営を教えて欲しいと語る経営者も多い。
こんなうれしい話はない。
先日もベトナム中部の都市であるダナン市の
人民委員会・副市長と面会した。
日本の関西方面のジャパンデスク業務を引き受けることになったが、
彼曰く、この10年間、日本は動いてくれなかったと漏らした。
最後に「今から本当に期待している」と嬉しそうに語ってくれた。
ベトナムの発展、ひいては東南アジアの発展を
願って活動してきた弊社としても正念場が来たと実感している。
日本勢がラブコールに応えるのは、
本当に最後のチャンスなのかもしれない。
そのことを日本人と日本企業が明確に自覚して、
海を渡るべきなのだろう。
2016年1月31日
ホーチミンへ向かう機上にて
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