何事も上達し、成長するには失敗から学ぶことが一番である。
これは誰でも知っている。
しかし、失敗しないように過剰に考え、行動していても、成長の機会は失われる。例えば、趣味程度でのゴルフでもゴルフが上手になる人と
そうでない人の差は明らかだ。
練習を地道に行うことは最低限の事として問題は本番でどうかだ。
(ビジネスでもそうだが、練習を疎かにする人は成長する可能性は
ほとんどない。こういう人は論外だ)
石川遼選手でも、本番では成功することはもちろんあるが、
素人目に見ていても人より多くの失敗する。
人より挑戦する分、なおのことだろう。
今回の全米オープンでもそのまんまの感じだ。
帰国後、“精神力、体力が持たず”とのコメントを残している。
上手くなる人というのは、何事においても必ず本番の結果をレビューして
次への改善につなげる。
アマチュアゴルファーはほとんど同じように悩んでいる。
(あくまでも上達したいと思っている人に当てはまることだが)
「練習場ではうまくいくのに、なぜ、失敗するのか」と。
上達するには、まずは本番を振り返り、
失敗の原因、要因を考えることが重要だ。
当然、技量だけの問題ではない。
メンタル的要素、気候の問題、ゴルフ場コンディションの違い、
あるいは、一緒に回った人との相性や影響など実に考えるべき要素は多い。
それだけではない。
たかが遊びではあるが、
前日の夜更かし、深酒の悪影響は誰もが知るところだ。
しかも、日本のアマチュアゴルファーは、昼時にビールをよく飲む。
こんなことも、なかなか上達しない要因であろう。
たかが、アマチュアのゴルフで見てみても、
上手くなりたければ、失敗から学び、
改善することが大切なのは明白なのである。
ビジネスの世界に20年以上もどっぷり浸かっていると、
自分のことは言うまでもないが、周囲の人を見て、
この失敗から学ぶことの大切さを身にしみて痛感する。
簡単に言ってしまえば、
ビジネスパーソンは
大きく2つのタイプに分かれる。
まず、失敗を糧に常に成長し続ける人。
そして一方は、何回、何十回と同じ失敗を永遠繰り返している人。
つまり、うだつが上がらない人だ。
私の感覚では、前者は全体の10~20%に過ぎないと思う。
だから、必ずしも人は失敗から学べるとは言い切れないのである。
私は、仕事する以上楽しくしたいし、
そのためには、日々、成長が一番重要だと思う。
世間でもよく言われるが、
人は失敗の数ほど、失敗の深さほど成長できる。
このことは、人は失敗から学んで成長していくことのできる
動物である証であろう。
成長できる人は、何よりも先にこの事を確信している。
では、成長しない人は、どうして何回も同じ失敗を繰り返すのだろうか?
過去、多くのビジネスパーソンとかかわってきて思う。
本当に不思議だ。
しかし、客観的に見ていると、
成長できない人は、
ある一定パターンにはまっていると思う。
すぐにそれをスキル不足と、片付けてしまうと身も蓋もない。
本質的な問題は、もっと根底の考え方にある。
一言で言うと、プライドがないのである。
同じ事を繰り返すことを恥だとも思わない。
同じ失敗をしてもそれで仕事をしていると思い込んでいる。
給料をもらえるからそれで良いのか、プロの自覚がないのである。
サラリーマンというのは、考えようによっては、楽な商売なのだろう。
ところで、今の若い世代は失敗を怖がっているとよく評される。
この激動の時代に日本の中に引きこもる傾向の若者は、
一体何を怖がっているのだろうか?
そもそも、世界中から
“日本は失敗を怖がっている”
とバカにされている。
日本全体が温室化してしまっている現状からすると、
若者だけを責めるのはかわいそうかもしれない。
お隣の韓国などはまったく逆だ。
失敗を恐れず世界で果敢にチャレンジし続けている。
ビジネスでもスポーツでも最近の韓国勢の躍進ぶりには驚く。
その分、相対的に日本が霞んで見えているわけだが。
失敗を恐れる人が蔓延すると国は衰退する。
日本は失敗を恐れてチャレンジしない国という評価は
今や世界やアジアの常識になりつつある。
なんとかしなければ。
話は変わるが、このテーマを考えるときにもうひとつ大切なことがある。
それは「失敗しなくても学べる方法はないのか?」ということだ。
極めて難しいが、実はそれは無理ではないのである。
実現している人は、少なからずいる。
本物のプロは実はこういうタイプなのだと思う。
つまり、“人の振り見てわが振り直せ”である。
ただ、これも考えてみたら自分の失敗ではないが、
人の失敗から学んでいるのである。
たしか30代の頃に読んだ本だが、
畑中洋太郎氏の「失敗学のすすめ」はお薦めの秀逸な本だ。
この本を読むと、なぜ、今の大企業で学びが少ないかがよく理解できる。
興味のある人は、社会に入る前に是非読んでみると良いと思う。
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