私は、先月53歳になった。
私の子供の頃は農家で生まれ育ったこともあり、
“もったいない”が当たり前であった。
日常生活で新品に出会うことなどほとんどなかった。ご飯を食べていても、米粒ひとつ残したら親父にたたかれた。
また、土間に落ちたものでも食べさせられた。
「お百姓さんに感謝しなさい」と躾けられた。
次男坊であったこともあるが、服はほぼ、おさがりだ。
兄貴も親戚からのおさがりだった。
つまり、私は“おさがりのおさがり”であった。
だから、“もったいない”は当たり前すぎて
文化だとは思っていなかった。
その子供の頃の体験から創業時は、
ベビー服やベビー用品中心のリサイクルビジネス
「おさがりの会」をスタートさせた。
最近、海外にいると“もったいない”に
気づかされる機会が多い。
東南アジアなどの日本より貧しい国によく出向くため、
当たり前と言えば当たり前なのだが、
子供の頃を思い出すことが多い。
今の日本は豊かになった。
しかし、その結果、
どうも“もったいない”の精神を忘れてしまったようだ。
「この“もったいない”は日本の文化なんていうのは嘘っぱちでは?」
そんな風にも思えるのである。
今の日本の一般的な生活の場で、
“もったいない”を感じられる場面は
ほとんど見当たらない。
電化製品、食べ物、洋服、次から次へと新品を買い漁る。
そして、まだ使える、着ることができるのに捨ててしまう。
リサイクルやリユースを意識している人もいるが、
まだまだ少数派だろう。
企業からすると、次から次へと新品、新機能を
いかに買わせるかが勝負だ。
その結果、中古品という名の不要品
(使えるのに不要になったもの)が山のように
氾濫するわけである。
最近では、ミャンマーなどの国で、
日本の中古車が主役になっていたりする。
こういう国に滞在していると、
日本もそろそろ次から次へと消費させるだけの
ビジネスモデルの変革が必要だと痛感する。
話は変わるが、当社が本業のひとつとする
ICTの世界もまったく同じである。
ICTは目に見えにくい。
日本という国にフォーカスをあてすぎて、
「本当に必要なのか?」という機能を
てんこ盛りにして送り出す。
すでに、携帯電話などは、日本企業の失敗事例が多々あるが、
多機能すぎて世界のマーケットから取り残されつつある。
先月、「ICTとアナログ力を駆使して中小企業が変革する」を
上梓させていただいた。
この本では、このままでは日本のICT分野が
ガラパゴス化の道を辿るかもしれないとお伝えしたつもりである。
現地の環境や生活実態に適応したICTで
世界に勝負を挑むのが最もわかりやすい。
最近、世界に広がりつつあるビジネスの考え方に、
ジュガード・イノベーション(Jugaad Innovation)がある。
ネットで検索すると、Jugaadはヒンディー語で
「革新的な問題解決の方法;
創造力や知恵から生まれた即席の解決方法」とあり、
主に資源などの制約がある中で、
何とか知恵を絞って問題解決する精神のことを指す。
インドのタタ・モーターズが世に送り出した
世界で最も安価な自動車といわれる
「nano」が代表例として挙げられる。
英語では、フルーガル・イノベーション(Frugal Innovation)
と読み替えられる。
直訳は“質素なイノベーション”。
「余計な飾りを取り除き、
本質的な機能そのものに立ち返ること」とある。
日本では、ケンブリッジ大学フェローのナヴィ・ラジュら
の著作である『イノベーションは新興国に学べ!
―カネをかけず、シンプルであるほど増大する破壊力』
(日本経済新聞出版社 、2013/8/23)という書籍で紹介されたことが
きっかけで知られるようになったもので、
まだ新しい用語であると考えられる。
このジュガード・イノベーションという言葉に触れて
改めて感じたことがある。
日本という国の生い立ちを考えた時に、
もったいない文化の、倹約や質素という本質的なことと、
ジュガード・イノベーションは共通しているという点だ。
日本は『もったいない文化』を思い出して欲しい。
その考え方をビジネスに活用すると、
世界マーケットのさまざまな分野で貢献し、
改めてリスペクトされる存在になるのではと思う。
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