IoTに関する記事を見ない日はない。
私自身、偶然にもICTに関わって30年が経つ。
それだからか、どうしてもいまだにこういう類の
メディアの喧騒には懐疑的だ。
先進国である日本は、十分便利だし生活も豊かだ。
これ以上、ICTで一体何がしたいのか?
もう慣れっこになったが最近の節操のないメディアの記事は、
ICT産業を近い未来の日本の屋台骨の産業に
仕立てあげたい政府の思惑に踊らされているのか。
それともICTサービス会社の片棒を担いでいるのか。
少なくとも、先進国日本では猫も杓子もICTではなく、
必要なところは限られている。
私は、ICTの使い方を誤るととんでもない時代が
到来すると危惧している。
例えば、子供の教育環境がそうだ。
これからは子供たちをスマホやSNSから遠ざける
大人たちの意志と配慮と仕組みが必要だ。
簡単に言えば、大都会のコンクリートに囲まれた生活環境で
さらにICTに四六時中触れていては、
とても感性豊かで思いやりのある子供が育つとは思えない。
田舎に住んで土で遊び、木の家に住む。
そしてシニアと触れ合う。
こんな環境が子供にとって最高なのは今やだれでも気づいている。
また、顧客の囲い込みのためのICT活用もすでに顧客として
人が望むレベルを超えてしまっている。
信頼感や安心感なども合わせた顧客満足構築の域を出て、
今やネットや個人情報の扱いなどに関しては、
急速に不安感や不信感が広がっている。
実際、重要な個人情報の漏えい事件は後を絶たない。
そして、すでに余計なサービスや勧誘を
受けたくない顧客が増えている。
“そっとしておいてほしい”顧客が増え始めている。
シニアなどはその最たる例だろう。
シニアの一部には、スマホを使いこなして
ECで買い物する人もいるだろうが、
多くのシニアは人と触れ合いたいのだ。
人と対面する買い物。
その買ったものを信頼できる誰かが運んでくれる。
そこにまた会話が生まれる。
こんなことを色々と考えた時に日本のような先進国は
ICTを活用してより快適さを求める一方で、
ICTから遠ざかることで快適さを実現できる部分を認識すべきだろう。
人間はアナログの世界で生活することが何よりも大切だ。
健康で元気でいる最大のポイントである。
これからは生活者が主役のICT活用の時代になることは、
自らが生活者目線で考えれば、容易に想像できることである。
政府が子供たちにプログラミングを必修にする方向らしい。
実際、プログラミングの仕事をしてきた私として
ははなはだ疑問である。
図化工作や美術などを教えるのとは意味が違う。
一番重要なのはICTの仕組みを作ることではなく、
生活者としてICTの仕組みをどう活用するかなのである。
車に例えれば、車のメカニズムの勉強を
子供に義務化するようなものである。
車であれば、車の運転の仕方はいうまでもなく、
マナーや交通安全、環境対策などを
教える方がよほど重要なのである。
プログラミングを義務化するのであれば、
農業体験をさせることのほうが、よほど実りが大きいと思う。
さて、本題の新興国でのICT活用はどうだろうか?
新興国と一言でいっても千差万別である。
今回は、アフリカのウガンダと東南アジアのベトナムで考えてみる。
ちなみに、20年近く前のベトナムよりも
今のウガンダが進んでいると感じる部分がいくつかある。
ひとつは車の普及である。
もうひとつはICTの普及だ。
科学技術による進化が地球規模で広がる今の時代、
発展途上国に近いような国であってもすでにICTなどは
普及し始めているのである。
ウガンダは農業立国を目指している。
気候的にも農業にはうってつけだ。
農業とICTの組み合わせのビジネスが
日本国内でも目立つようになってきた。
トレーサビリティや省力化などの部分では
先進国でもICT活用の余地はある。
しかし、日本の根本的な問題は農業従事者の不足である。
このことに気づいていない方々が意外と多い。
一方、ウガンダは労働人口の大半が農業に従事している。
なおかつ農作に適した土地も広大だ。
ないのは、農業のノウハウや商品化の技術である。
ナイジェリアは政府主導でスマート端末を利用し、
農家に農業に関する情報を伝えている。
仕組みとしては簡単で、端末と通信インフラがあれば事足りる。
また、農家に農業に関するノウハウを伝授するのも
工夫すればやりようはいくらでもある。
例えば、日本の高性能のゲーム開発の技術があれば、
いくらでもきめ細かいサービスが構築できると思う。
建設現場の技能指導を考えてもICT活用で可能性が広がる。
ベトナムでは今、日本の職人が日本の技をベトナムの職人に
伝授する機会が増えてきた。
今のやり方は、アナログ中心で日本の職人が現場で直接、
技を見せて教える。
この方法が、日本の技を伝授するのには一番良いが、
日本人の人件費の問題と、誰が現地に張り付いて根気よく教育するのか、
という問題が常に横たわる。
必然的に、一過性の指導に終わり、なかなか、技は伝承できない。
ここでひとつICTの活用を考えてみる。
日本にいる日本のベテラン職人がベトナムの現場にいる
ベトナム人職人をオンラインで指導する。
ベトナム人職人はスマートグラスをかけて実際の手で作業を行う。
日本のベテランは、ベトナム人職人の目線で
その手元をモニターで見ながら指導する。
この仕組みの応用範囲は建設現場に限らずいくらでも考えられる。
今、ベトナムではタクシーの配車アプリサービスの
「グラブカー」が普及し始めている。
ベトナムではタクシーに乗る際に不便だから
このようなサービスが流行する。
仕組みはシンプルで、タクシーをスマホなどで予約するサービスである。
この分野では、米国の「ウーバー」が最王手として君臨し、
最近では車産業の未来を左右するような話題も聞かれる。
ひとつはトヨタが出資するというニュースが流れた。
ベトナムで過ごしていると何が困るかというと、
雨季に必ずといってよいほど発生するスコールの時に
タクシーが捕まりにくいことである。
そもそも、ベトナムのような新興国に慣れていなければ、
言葉も通じるかどうかわからない。
高額な料金をふっかけられるかもしれない。
当然、とても不安になる。
実際、少なからずトラブルも起こっている。
そこでシンガポール発の「グラブカー」がベトナムで
急速に普及している。
ベトナム人社員に聞いてみると、確かに便利だという。
ようやくカーナビも普及し始めたくらいのベトナムだ。
日本のように車社会は快適ではない。
商売として、車を購入して「グラブカー」を使って
月に1000ドル以上稼ぐ人たちも増えているという。
こういう事情もあり、タクシー会社ではない民間のいわば
“白タク”を「グラブカー」で予約して利用している。
ウガンダでは日本のハイエースの中古車が相乗りタクシーとして
ウガンダの交通インフラを支えている。
現地の人に聞いたら、そろそろ地元の起業家が始める
ライドシェアサービスが始まりそうだと言う。
新興国に定着している日本人ならこういう発想は
自然と出てくるだろう。
それよりも、現地のウガンダ人が
ICTによるクラウドの可能性を知ったら、
泉のように知恵が湧き出てくるのは間違いない。
しかし、日本国内のあまりにも便利すぎる社会でこれ以上、
『余計な利便性』を追及している企業人には、
新興国でのビジネスチャンスは見えないし、
新興国ででワクワクすることもないだろう。
日本の子供たちにプログラミングを学ばせることが
すべて無駄だとはいわないが、
子供たちに新興国を実体験をさせる方がよほど
将来の日本のICT産業を磐石なものにすると思えるのだが。
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