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徒然なるままに・・・ベトナムと日本の未来考

8月25日、東京の大手町にて「第51回アジアビジネスカンファレンス」を開催した。

大阪、ホーチミンと日本の各地をオンラインで繋ぎ、同時配信を活用した
越日交流セミナー&交流会である。
今回はベトナム南部に広がるメコンデルタの中心都市カント-と“日本橋”で有名な
ホイアンのあるクァンナム省から行政や商工会議所の方々が訪日され、
それぞれの都市の魅力をプレゼンしていただいた。

翌日には、弊社の東京オフィスでカントー市の経営者とカントー商工会議所の方々との、
食とICTをテーマにした懇談会も開催した。
日本からは農業やICT関連の経営者や東北からも商工会議所の方々が参加され、
特にお菓子ビジネスにおける約50年の日本の変遷にはとても強い関心があった。
弊社のビジネスパートナーであるフードニュース社の益山社長の語り口はベトナム人も
魅了するほど、ワクワク感で溢れていた。


――ベトナムにおけるお菓子ビジネス

これは何度考えても魅力的である。
この2つの自治体に限らないが、今やベトナムは64省・市すべてが日本と何らかの形での
強い連携を望んでいる。
弊社もすでにリリースしているがダナン市のジャパンデスクも引き受けており、
カントー市、クァンナム省との関係強化を皮切りに、
ベトナムの北部・中部・南部の主要な地方自治体と連携する予定だ。
いよいよベトナムの地方と日本の地方が繋がる時代がやってきたと確信している。
残暑の厳しい中、ベトナムの熱さを確信した数日間であった。

私達にとっては長い間ベトナムは近いようで遠い国だった。
飛行機で関空から5時間。
私の渡航回数はそろそろ200回近くになるが、
私にとっては慣れもあり感覚的には、神戸から東京への移動とあまり変わらない。
だが、いまでも私の周りの人でベトナムを知らない人にとっては、
遠い国という感覚である。
実際に弊社がベトナムでビジネス活動を開始した約20年前から数年前までは、
日本の経営者で関心を示す人はとても稀であった。

「ベトナムで何をしているの?」
「ビジネスになんかならないでしょう?」
「何語話するんですか?」
「バンコクのようにゴルフ天国でもないでしょう?」

こんな質問をよくぶつけられた。
ところが、今はまったく変わってしまった。

「ベトナムって凄いんでしょう?」
「儲かりそうですか?」
「先見の明がありますね」
「ベトナムで教育ビジネスやりたいんだけど・・・」
「介護分野での進出もできるかな」

人間の思い込みや情報感度というのは勝手なものである。
毀誉褒貶ともいうが、今やベトナムに対する関心の度合いは
アジアで一番といっても過言ではない。
ベトナム現地でベトナムの変化を体感し続けてきた私達からすると、
確かにこの2~3年の日本人のベトナムを見る目の変化は著しい。
ベトナムをまだ知らない日本人にとってはメディアと人の噂の影響が大きい。
ここ数年、日本のメディアでのベトナムの露出は急増している。
加えて、進出している、あるいは進出予定の経営者も増えつつある。

その一方で、ベトナムは遠い未開の国という報道もいまだに多い。
私から見たら15年前のベトナムを連想するような構成の報道も目にする。
実際の変化を長年見続けてきて、ホーチミンやハノイで一番実感するのは都市化だろう。
これはベトナムに限らず、都市化を一番実感するのはビル建設や交通インフラ網の整備である。
ベトナムでは現在、地下鉄の工事は進行中だ。
地下鉄は地上からはわかりにくいが、ビル建設はわかりやすい。
高層ビルの建設ラッシュ、中間層以上向けのマンションが次々と出現している。
日本の高度成長期が始まった頃の建設ラッシュの風景がそのまま広がっているといえる。
当然、ベトナムの建設業界は活況である。
しかしその一方で品質の問題、工期遅れなどさまざまな課題が噴出している。
何が足りないのか・・・それは、品質やノウハウである。
そして、それらを教えることのできる人材が圧倒的に不足している。

大型ショッピングモールも出店ラッシュである。
先日はホーチミンに高島屋がオープンした。
ホーチミンがこの先どうなるかだが、将来性は抜群の商都であるのは間違いない。
私はホーチミンは地政学的に見て、タイのバンコクと比較すると
未来がわかりやすいと考えている。

例えば、飲食店。
先日、日経新聞にバンコクの日本食レストランの数が1700店強であると記事が出ていた。
すでに飽和しているとも書かれていた。
ホーチミンは最近、急激に増えて500店は超えている。
日本食レストランの数はバンコクに遅くとも10年で肩を並べるだろう。
バンコクを初めて訪れた人にはすぐわかるが、どことなく日本を感じる街である。
実際、車も右ハンドル。
日本と同じだ。
日本のコンビニもたくさんある。
一方、ホーチミンはどうか?
日本のコンビニも増えつつあるが、またまだ日本を感じる街ではない。
ひとつの目安として、10年前と比べてみる。
まったくといってよいほど日本のプレゼンスがなかった時代だ。
周囲は韓国や中国、台湾の空気感がとても強かったし、
実際に現地で活躍している企業はこれらに加えて、欧米の企業ばかり。
日本は製造業はなんとか存在はしていたが、サービス業の進出などは皆無であった。
今は書き出したらきりがないが、先ほどの第一次日本食ブームの到来、
日本のビジネスホテルの進出、介護関連ビジネスの進出、幼稚園の運営など、
あらゆる産業に日本が関わりだした。
弊社の得意とするところの建設、農業関係も日系との連携がますます強まっていくだろう。
ベトナムの有力企業の経営者は農業ビジネスに対する関心がとても高い。

国民が望むもの、社会が望むもの、それは安心安全で品質の良い『食』だ。
経営者としては自然の選択なのである。
住宅にしてもそう、今のベトナムの生活者が望んでいることはアフターフォローだ。
住宅の快適さも重要だが、今までのベトナムは作って売って、それで終わりだった。
「売った後は知りません」というのが商慣習の常識であった。
今は、生活者にとって安心安全とアフターフォローが最大の関心事に変わってきたのである。
私はかねてから日本がベトナムと共生して貢献するのは信用ビジネスに軸足を置くべきと
言い続けてきている。
実際にベトナムの経営者もそれを望んでいる。
今のベトナムは全産業で日本との連携を望んでいるのである。

先ほどベトナムの地方に触れたが、ベトナムも地方の時代に少しずつ移行しつつある。
ベトナムと日本は国土の形と生活様式がよく似ている。
ベトナムの海岸線は日本の太平洋岸よりもリゾートに適している場所も多く、
その開発は有望である。
一方で漁業もとても盛んだ。
農業と併せて地方は第一次産業が中心である。
日本の地方も人口減で衰退気味ではあるが、結局は第一次産業をどうするかにかかっている。
この地方の実状は地方の立場でないとなかなかわからない。
私達はすでに南の有力地方都市カントーにて活動を開始して数年になるが、
支店も1年前に開設している。
そして、近々、日本食レストラン「ENISHI」のオープンも予定している。
カントーをICTの集積地とすることと、
第一次産業の発展に大いに寄与したいと考えている。

明日は、ホーチミンで第52回目の「アジアビジネスカンファレンス」を開催する。
ベトナム熱がさらに高まり、日本が関心を持たずにはいられないようにしたいと思っている。
日本の皆さんはぜひ、『三丁目の夕日の時代』をもう一度体験しましょう。


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