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【提言21】つながるアフリカは「茹でガエル」の日本を刺激する


2016年7月21日、私達としては初めてとなるアフリカに関連した
セミナーを開催した(EGAセミナー~アフリカ編~)。
前述したように、EGAは私が考えた造語であり、
新興国でのビジネス推進を図る上で、従来のアジアのみならず
アフリカもその範囲に加えた呼称として使用している。
EGAへの支援サービス(EGAブリッジサービス)の第一段階として、
まずアフリカビジネス情報の発信を目的にセミナーを開催したものである。
今後はアフリカビジネスの可能性や現状について、人と企業と
ビジネスシーズに焦点を当て、ビジネスマガジン、ブログ、書籍、
そしてオンラインセミナーという形で情報発信を展開していく予定であり、
すでにその準備を進めている。


私達は現在、ウガンダ、ルワンダにおけるビジネス展開を準備している。
(※2016年発刊当時)
ルワンダへの会社設立はすでに手続き済みであり、今後はウガンダへと
そのすそ野を広げていく予定だ。セミナーでは、ウガンダに在住する2人に
現地からオンラインにて講演してもらった。
ひとりは、JICAに出向の形で海外青年協力隊としてウガンダに赴任して
約1年半(2016年7月時点)の渡辺慎平。私達のスタッフのひとりだ。
もうひとりは、WBPFConsultants.LTDの伊藤氏。
ウガンダ現地で事業活動をされている。少々、通信回線の問題は発生したが、
地球の裏側のアフリカからのオンラインセミナーは刺激的で感慨深いものがあった。

 


「こういう時代が来たんだ…。世界はつながるんだ…」


聴講者の皆さんも実感されたことと思う。特にベトナム人の友人が
食い入るように聴講していたのがとても印象に残った。
もちろん、電波メディアであればあまり驚きもあるまい。
例えば、CNNのような報道番組であれば、生中継は朝飯前。
しかし、今回利用した仕組みはとてもシンプルなもの。
最先端のICTの仕組みでありながら、利用料金は極めてリーズナブルである。
テレビ局がアフリカから生中継をしようとする際のコストを考えてみればわかりやすい。


私達が使用しているツールはシャープ株式会社の子会社である
iDeepソリューションズ株式会社(現シャープマーケティングジャパン株式会社)
の「TeleOffice」。
低廉な月額固定利用料金を支払うだけで、契約の範囲であれば、
いくらでも使い放題。今回のオンラインセミナーが画期的なのは
同社のサーバが日本にあるということだ。
シンガポールやドバイにあるのではない。
少し前までは、東南アジアのベトナムでもこういうオンライン形態での
サービスはとても品質が劣悪で、実用に耐えられなかった。
今やすでに、地球のどこでも利用できるレベルにある。
アフリカでここまでできるのだから間違いないだろう。


話は変わるが、先日、「アフリカに見捨てられる日本」(創生社新書)
という刺激的なタイトルの本を見つけた。


初版は約8年前の本なのだが、その内容はかつての東南アジアを見ているようだ。
東南アジアでNATO(ノー・アクション・トーキング・オンリー)と
揶揄され続けてきた日本人。いつも相手国に期待させはするが、
なかなか行動に移さないので『口だけの国』と言われるようになる。
今もベトナムでもこの傾向は変わらない。
爆発的にベトナム人気が日本でも高まっているが、世界中が同時にそうなのだから、
相対的に日本のNATOはあまり変化がない。
この本を読んでいて、どれだけアフリカの声が日本に届いていなかったのかと
いうことを改めて痛感した。アフリカも以前から日本に来て欲しいと
ラブコールを送っている。もっと、日本人にアフリカのことを
知って欲しいと願っている。
今からアフリカビジネスに本格参入するのが、私自身は遅いとも早いとも思わない。
今、この時点こそベストタイミングだと考えている。


そんな中で、アフリカと実際にオンラインでつないでみた。
つなぐとわかるが、アフリカがとても身近に感じる。
思い起こせば、私の海外ビジネスは26年前から始まった。
当社を設立する数年前に勤めていた神戸にあった小さなITエンジニアの
派遣会社の体験が今も自身の原点となっている。
その会社では入社前の約束通り、ITビジネスの部署を任されるようになった。
ただ、約束と違うことがひとつあった。それは、部下が日本人ではなく、
全員アジア人だったことである。後に、日本人の部下がひとりだけ増えたが、
1年以上、外国人との仕事である。
マレーシア人3人と中国人2人がメンバー。
マレーシアの3人との関わりで、イスラム教の生活様式を間近で感じた。
タイムテーブル通りに祈りを捧げる。打ち合わせより祈りが優先だし、
もちろん食べ物にも気を使った。中国人との付き合いは生活習慣の違いは
あまり感じなかった。しかし当時、中国では天安門事件が勃発する。
当時の社長は翌年には中国人を20人採用すると豪語していた。
必然的に私が面倒を見ることになっていたのだ。
ところが天安門事件により、すべての計画は白紙になった。
自分の働く場や人付き合いの中で、外国の出来事が影響する体験を
初めて実感することになる。ただ、その当時は、今のような情報社会でもなく、
まして情報統制もあり、その後の中国の様子はしばらくは中国人の友人からしか
伝わってこなかった。


また、ブレインワークスを創業してしばらく経った頃、ユーゴスラビアから
インターン生のITエンジニアを受けて入れていたことがあった。
好青年で社内でも人気があった。皆が東欧に関心を持つキッカケもつくってくれた。
ところが、任期満了前に帰国することになった。理由は徴兵のためだ。
当時、ユーゴスラビア紛争が勃発したのだ。彼の明るい笑顔と紛争という暗い影。
対照的なふたつの光景を目の前にして、複雑な気持ちのまま
東欧が身近に感じたことを今でも思い出す。


ウガンダに5月に初訪問して以来、少しずつではあるがアフリカの事情が
見えてきた。こちらがメッセージを発すると情報は集まってくるものである。
特に、隣国のルワンダは今、ICT立国として、国の基幹産業の発展に
力を入れていることを知り、会社設立を決めた。
そのルワンダも私の記憶の片隅にはその国名が残っていた。
約22年前となる1994年4月、世界を震撼させた大虐殺が発生した国である。
100日間で約80万人が犠牲になった。関連する本を読んだり、映画も見た。
映画は感動的ではあるが、それはこの大虐殺の一部分を切り出したものに過ぎない。
まだまだ、ルワンダのことを理解していないのが実状だ。


私が神戸で創業したときに阪神大震災が発生した。
ひとつだけ言えることは、その震災の少し前にルワンダでは世界的な
大惨劇が起こっていた。


なぜその当時、知ることができなかったのか?
私が無関心だったからだろうか?
日本では、情報が流れていなかったのか?
日本のメディアはどのように報じていたのだろうか?
その時に、アフリカの友人がいたらどうだっただろうか?


仮に今の情報社会だったらどうだろうか。少なくとも今は世界中に
情報が伝わる時代だ。フェイスブックで拡散でもしていたら、
結果は変わっていたのではないだろうかと思ってしまう。


今でも世界は紛争だらけである。貧困な生活で食料も足りない人が
驚くほど膨大に存在する。日本にいたら常に平和を実感できる。
平和すぎて余計なストレスが溜まる社会である。
こんな国のこんな人々を相手にしたビジネスは、気づかぬうちに
すべてがガラパゴス化に向かっているのではないだろうか。
私自身とても心配になるが、それは老婆心が過ぎるというものだろうか。
少なくとも東南アジアやアフリカから日本を見ている人たちは私と
同じ考え方が多い。


情報は伝わるようで伝わらない。今のようにICTインフラで
世界中がつながる時代でも無関心でいることはできる。
しかし、変化を望み、地球の未来を考えたビジネスに取り組むのであれば、
アフリカとつながるのが一番良いと今は確信している。
いきなりアフリカに訪問しようという意味ではない。
実際に行動に移すのはとても労力がいるし、少しの勇気が必要だ。
百聞は一見に如かずとはいうが、一見の前の一見が今は容易に可能だ。
そのひとつが、アフリカの現地からのオンラインでの
セミナーであった。教育だってかなりの部分がオンラインでできるだろう。
それに加えて、進出計画の有無にかかわらず、現地の人材を短期でもよいから
受けて入れてみるのもよい。仮にICTの事例でいえば、
東京のど真ん中のオフィスの日本人だらけの開発ルームに
ルワンダ人と仕事するなんてどうだろうか。
これだけでも、社員の刺激になるし、意識も変わるだろう。
ルワンダのたった22年前の悲劇も自ら知ろうとするだろう。


物理的にはアフリカは遠い。だからこそ、これからはオンラインを
ダイナミックに活用し、「身近なアフリカ」にしていくことに
大きな意義を感じる。人と情報がつながる時代は
オンラインのプラットホームに乗れば、
限りないイノベーションが起こせるはずだ。
私達はその仕組みづくりに奔走したい。

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(近藤 昇 著 2016年10月15日発刊
もし、自分の会社の社長がAIだったら?
PARTⅢ 日本人への提言-【提言21】つながるアフリカは「茹でガエル」の日本を刺激する より転載)