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自動運転車は心地よいのか

 

「高齢者、免許返納に二の足 移動手段確保に不安」。

11月6日の中日新聞ウェブニュースである。

愛知県内の地方自治体における、高齢者に対する運転免許証の自主返納に関する記事で、高齢者が加害者となる事故を減らすために、公共交通機関の無料券などの特典と引き換えに、運転免許証を自主的に返納してもらうというものである。
全国的に行われている取り組みであるが、マイカーが主要な移動手段となっている地域にとっては、難しい取り組みとなっている。
運転免許証を自主返納するということは自分で車で移動する手段を放棄することであり、そのためには代替手段の確保が必要である。代替手段として、公共交通機関が使いやすくなくてはならないが、都会を除くと不便なところが多い。

最近も、高齢者ドライバーが関わる事故が報じられており、高齢者による自動車運転のあり方に関する議論が熱を帯びている。
アクセルとブレーキを踏み間違えるといった人間の単純なミスにより大事故が発生してしまうということは、自動車運転の自動化に何らかの問題があると考えざるを得ない。
通常、工場の機械などでは、フェールセーフといって機械の故障や操作ミスで誤動作しそうな時は、安全な方向に機械が動作するように設計・制御されている。誤って操作したら、暴走するのではなく止まるようになっているものである。

人間はそもそもミスを犯しやすいため、その人間がオートマチック車のような、ペダルを一つ踏むだけで進むような自動車を運転するということは、相当注意が必要になるはずである。
仮にマニュアル車であれば、最近発生しているような暴走事故は起きないであろう。エンストして止まるだけである。
そんな危険な状況で、どうしても体力や注意力が落ちてしまう年齢で運転せざるを得ない状態自体を、何とかしなければならないだろう。

このような問題を解決するために、ICTの活用が模索されている。
ICTを活用することで、運転をサポートしたり、人間の代わりに運転したりすることで、安全に移動手段を確保しようということである。

例えば、Uberは富山県南砺市や京都府京丹後市で実証実験やサービスを開始して、過疎地における移動手段の確保を進めている。
ソフトバンクは、自動運転技術で無人の路線バスを走らせるべく、開発を進めている。
ロボットタクシーは、2020年に自動運転の無人タクシーサービスの実現を目指している。

これら以外にも、未来の移動手段の確保のための取り組みは多く進められている。
Uberも無人運行に向けて検証をスタートさせており、いよいよ無人の自動車が普通に走る日も見えてきそうである。

本当に無人の自動運転車が普及し、過疎地の高齢者の移動手段として活躍してくれることを考えると、明るい未来のように思える。
だがそう思うと、別の心配が頭をもたげてくる。

無人の乗り物に乗り、自分が運転できない状態のことを考えると、いささか不安である。自動運転車を信用して乗れるのだろうかと。
今でも人が運転する車の助手席に乗っているだけでも、ブレーキを踏むタイミングで自分も足で踏んでしまうようなことがあるし、ついつい運転にも口出ししそうになる。
これが無人の自動運転車となると、安心して乗れる気にならないのである。

テスラの自動運転車(正確には自動運転車ではないが)の事故はまだ記憶に新しいところである。
現在よく言われている自動運転車は、本当の意味での自動運転車ではなく、あくまで運転をサポートする機能に留まっており、運転するのは人間である。
運転サポート機能に運転を任せきりにすると事故の危険性が高くなるのは当然のことで、本当の意味での自動運転車があのような事故を起こしてしまうと、それこそ自動運転車の存続が危ぶまれる大問題である。果たして自動運転車の時代が来るのだろうか。

全ての自動車が、完全に自動運転車になれば安全になるという話もある。
確かに、全てが自動運転車になれば、自動運転車同士で位置や進路、運転状況などの情報をコミュニケーションすることにより、互いの動きが想定できて、事故も防げるだろう。
そこに至る過程、すなわち人間が運転する車と自動運転車が混在している時が、最も問題となる。

こういうことを考え、自動運転車ばかりになった光景を想像すると、思い浮かぶのが馬である。
自動車がなく馬が人間にとって移動手段として不可欠のパートナーであった時代を考えると、意外とこれからの時代と通ずるところがあるのではないかと思ってしまうのである。

私自身、乗馬を始めて10年以上になるが、馬の賢明さをよく感じさせられた。
目の前に障害物があれば、当然避けるか止まるかするし、馬同士が鉢合わせになっても、うまく互いに避けたり止まったりする。ぶつかって事故になることはまずない。

だが、急に大きな音を聞いたり、横から急に何かが飛び出してきたりすると、驚いて横跳ねして振り落とされることはある。私も2回経験した。
それは仕方がないにしても、そういうことも踏まえた上で乗っていれば、予測できることもあるし、馬が勝手に無茶をするということは基本的にはない。訓練が前提ではあるが。
それが一種の安心感でもあった。振り落とされても馬だから仕方があるまい。

自動運転車ではそのような気持ちになれるのだろうか。
完全にデジタル化された自動車に乗り、話し相手も運転もAIというのは、何か気持ち悪いし、不安である。

やはりそこに何らかのアナログ的な要素が欲しい。
例えば、誰かが遠隔地からオンラインで画面に映り、運転状況のチェックや話し相手になってくれるのもいいだろう。

万一、車内で急病になった場合でも、人なら話しかけたり様子を見るだけで緊急事態と分かって、行き先を病院に変更することもできる。
無人なら、そのまま目的地に着いた時はもう手遅れということにもなりかねない。
もっとも、その時代にはバイタルサインで人の異変を察知して自動的に病院に向かうということもあり得るだろうが、それはそれでますます気持ち悪い。

何でもデジタル化されれば確かに便利な面はあるが、人間どこか落ち着かなくなる。
恐らく、アナログのいい意味での不確実性であったり、柔軟なところが必要なのだと思う。

話は飛ぶが、最近インスタントカメラの「写ルンです」の人気があるらしい。どうやら何が写っているのかが分からない状態で写真を撮るというのが、今の時代に新鮮に映るようだ。
使い分けだろうが、人間にはやはりアナログの要素に惹かれるのである。

自動運転車の時代には、ぜひ馬で街を散歩してみたいと思っている。

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